こんにちは、
こめまるです。
定年後の三大不安というと「お金」「健康」「生きがい」と言います。
生きがいを孤独に変える人もいます。
つまり、お金と健康はマストで、この2つがあれば、生きがいが得られて、孤独にもならないということでしょうか。
今日は、そんな不安を抱えて定年後を過ごしている人、またはこれから定年を迎えるけどどうやって働こうか、何をしようか、と悩んでいる人に少し勇気の出るお話です。
そう、ハイドン先生が教えてくれたのです。
定年後の起業 人生50年の時代に60歳から輝いた作曲家
音楽の時間に次のような言葉で、
17世紀から18世紀に活躍した作曲家を表さなかったでしょうか。
音楽の父、ヨハン・セバスティアン・バッハ
音楽の母、ゲオルグ・フリードリッヒ・ヘンデル
交響曲の父、ヨゼーフ・ハイドン
神童、ウォルフガング・アマデウス・モーツァルト
楽聖、ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
この中で一番長生きしたのが、ハイドンの77歳。
続いてヘンデル74歳、バッハ65歳、ベートーヴェン57歳、モーツァルト35歳。
当時の平均寿命はわかりませんが、ベートーヴェン以降の著名な作曲家は、それほど長命ではありません。
ざっと享年を見てみると、
シューベルト31歳、ベルリオーズ65歳、メンデルスゾーン38歳、
ショパン39歳、シューマン46歳などなど。
さて、この中で、交響曲の父ことハイドン(1732-1809)は、60歳を超えてなお一層活躍した人です。
定年後の起業 貴族のお抱え音楽家からフリーランスへ
ハイドンが生きた時代の作曲家は、貴族や皇族の仕えて生計を立てるのが一般的でした。
だから作曲も仕えている貴族や皇族からの依頼によるもので、ハイドンが104曲もの交響曲を書いたのも、依頼に従い書いていたら104曲になっちゃった、というところです。
そんなスタイルから脱却して、フリーランスとなり自分の書きたい曲、好きな曲を作るというスタイルにしたのが、ベートーヴェンからでした。
モーツァルトも晩年はフリーランスとして作曲していました。
さて、ハイドンは29歳の時からずっとエステルハージ家に仕えました。
しかし、60歳ちかくになって転機が訪れました。
音楽の理解者エステルハージ家のニコラウス候が死去したうえ、後継者のアントン候は音楽に無関心で、楽団を解散してしまったのです。
一応給料は支払われたのですが、ハイドンは、やることがなくなってしまいました。
定年後の起業 ハイドンの目覚ましい活躍
ハイドンもすでに60歳、仕えていた貴族から俸給はでたのだから、もう引退をしても良かったのかもしれません。
なんといっても当時の60歳は、今の60歳と違います。
しかし、ここからがハイドンの凄いところでした。
職務から解放されフリーランスになったハイドンは、興行主ザロモンの招きに応じ、『ロンドン交響曲』ほか、次々と傑作を発表していったのです。
晩年はウィーンへ移り、オラトリオ『天地創造』をはじめとする優れた声楽曲も作りました。
最後に
ハイドンの生き方は、定年を迎えたばかりの人、これから迎える人を元気づけてくれます。
少なくても僕は、ハイドンの生き方を知って嬉しくなりました。
それまで貴族に仕えていろいろ制約のなる中で仕事をしていましたが、それから解放されると一気に自分の好きな仕事を初めて、今まで以上の傑作を生みだして行ったのです。
誰にでも会社勤めから解放されたら、自分の好きなことをやる、出来るチャンスが来るのです。
その機会をモノにするか、またはやはり使われて終わるかはあなた次第です。
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