オーストリア公演ツアー 大いなる助走

音楽
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こんにちは、
こめまるです。

5月27日から6月5日まで、オーストリアを旅行してきました。

20年ぶりの海外。

会社員時代が、業務でヨーロッパは30回ほど行きました。

ただ訪問した国は、ベルギー、オランダ、ドイツ、イタリア、スイス、イギリスとオーストリアには、

全く足を踏み入れたことはありませんでした。

今考えると上手く休日など利用して、1~2泊位すれば良かったなと少し後悔しています。

特にウィーンは行ってみたい都市ナンバーワンでした。


※ウィーンのハイリゲンシュタットの風景

ということで、他の僕が運営しているブログやfacebookでも、何度か投稿していますが、それだけでは語り切れないので、このブログでも記していきたいと思います。

何回の投稿になるかわかりません。
もしかしてあっさり終わるかもしれませんし、そうでないかもしれません。
自分でも予測不能。

よろしくお願いします。

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オーストリア公演ツアーとの出会うまで

まず、このオーストリア公演ツアーとの出会いから記したいと思います。
これは全く偶然でした。

僕は、今から約3年前の2021年8月より綱島のヴァイオリン教室に通い始めました。
通い始めたきっかけは2つあります。

一つは自宅にたまたまヴァイオリンがあったこと。
もう一つは当時入会したおじさんLCCで同時期に入会してMさんが、学生時代からヴァイオリンを弾いてきて、単純に憧れたこと。
そしてもしかしてこれが一番当時63歳の僕を後押ししたエピソードがありました。

このエピソードは、web上でたまたま見た記事で本当の話か、作り話かはわかりません。
ただ僕の心に常に引っかかっていたのです。

それはおおよそ次のような内容でした。

あるインタビュアーが、90歳のおばあさんにインタビューしました。
「いままで生きて来られて、なにか後悔していることありますか?」
おばあさんは、次のように語ったそうです。
「60歳でヴァイオリンを始めなかったこと」
インタビュアー「ほう、それはどういうことですか?」
おばあさん「若い頃から音楽が好きでヴァイオリンを習いたいと思っていた。でも仕事や子育てに忙しく、なかなかそんな時間が取れなかった。
60歳になってようやく時間が出来た。でも、結局、周囲や自分でもこんな年齢から始めても、と思うようになり始めなかった。だからもしあの時始めていればといまは後悔しています。」
という内容だったと記憶します。

「人生100年時代」などと都合のよう言葉が流布していますが、いままでは年寄りの仲間入りと思われていた60歳が、いまでは、もしかしたらそこから30年も40年も生きる可能性があるのです。

実際、そのおばあさんは、30年も長生きしました。もし60歳でヴァイオリンを始めていれば、かなり上達して自分で楽しむのはもちろん仲間とアンサンブルを楽しめるほどには上手くなっていたかもしれません。

そんな記事を読んでいた僕は、家にたまたま息子が友人から譲ってもらったヴァイオリンがあったこと。知り合ったMさんが、アマチュアながらヴァイオリニストだったことは、天啓と感じ、始めることにしたのです。

もちろん、その時点で50年来のクラシック音楽好きだったことがベースになっていたことはいうまでもありません。

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オーストリア公演ツアーとの偶然な出会い

昨年2023年5月某日。
僕の自宅から徒歩10分程のところに都筑公会堂というホールがあります。
コンサートの専用ホールというよりも講演など行われる多目的ホールのような印象です。
そこで横浜市都筑区中心に活動する都筑オーケストラというアマチュアの市民オーケストラが、定期公演を開催していました。

僕は、ヴァイオリンを始めたからにはいずれ市民オーケストラに入りたいという目標を持っていて、入るなら近隣のオーケストラがいいと思い、都筑オーケストラの公演を聴いてみようと思っていたのです。

多分数ヵ月前から予定していたと思います。
その公演に行った時、入口でたまたま受取ったのが、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」をウィーンで歌わないか?という企画のチラシでした。

まずに目に留まったのは、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」です。
この作品は、ベートーヴェンの最高傑作の一つとして知られていますが、僕はどうも近寄りがたく、その時点では、一度も全曲を通して聴いたことがなかったのです。

でも、大好きなベートーヴェンのそれも最高傑作と言われる「ミサ・ソレムニス」を避けることはできないとも思っていました。

合唱曲の作品を知るには、歌うのが一番です。
しかも敬愛する音楽評論家故宇野功芳氏も宗教曲の傑作は、J.S.バッハの「マタイ受難曲」とベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」と著書にも書いていました。

この機会を逃してはならいと感じ、まずはそこに書かれていた2024年2月の公演に参加するため、チラシを配っていた合唱団に入ってみることにしました。それから、同じメンバーで2024年5月にウィーンでミサ・ソレムニスを歌うというのもいいかもしれないとじわじわと気持ちが高まって来たのです。

ただ練習開始が11月からというのが気になりました。まあいいそれまでは楽譜と音取りCDを入手して自習だな、と2024年2月の川崎での公演と5月のウィーン公演に行くことに決めたのです。

ちょうど所属する合唱団の公演が5月下旬にあり、僕はその公演後、妻と妻の友人と食事をしたのですが、初めて「来年ウィーンに歌いに行く」と告げたのでした。

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ウィーンへの大いなる助走

ウィーン公演を企画していたのは、マウントあさま管弦楽団とフロイデコーアヨコハマという合唱団で、合唱団は横浜市青葉区のあざみ野を拠点に活動していました。
当時、合唱団は10月公演のヴェルディの「レクイエム」の練習中で、その公演が終わってからミサ・ソレムニスと自身の定期公演で2024年10月に行う「カルメン」の練習を行う予定でした。

当然僕は、ヴェルディの練習に参加するのは時間的には無理と判断し、練習開始の11月まで待つことにしたのです。なお旅行会社の担当者とは接触して、確か8月には申込金の10万円を振込んでいました。

当時の僕は、11月からいろいろなことをしていました。
所属する川崎市の合唱団は、公演が終わったばかりでしたが、2024年5月公演へスタートし出していました、また当時まだ所属していた湘南の合唱団は、2023年10月のメサイア公演を間近にしていました。
ただその合唱団は、メサイア公演後は退団することにして同じ先生が指導する横浜の合唱団で、今度は2度目のマタイ受難曲の練習も始めたのです。

しかも7月からウィーン行きの資金稼ぎにチラシを配りのバイトを始めました。来年5月まで10ヶ月もやれば50万円くらい稼げるだろうと思って始めたのです。でも甘かったです。
シフトに入ることなく自分の好きな時間に出来ると思っていたのですが、これが予想と違い仕事はハードだし、チラシはどんどん運ばれてきて、しかも納期があるので結局優先せざるを得ず、振り回されてしまったのです。

しかも仕事中に転倒して顔面を打ち、あざにでき、家具店のバイトも休むハメになってしまったりしました。結局、約5ヶ月間続けましたが、11月には止めてしまいました。約20万円の収入でしたが、失ったものも多かったように思います。

まとめ

僕にとって、オーストリア公演ツアーが、大きな出来事でした。資金調達や練習時間の確保などいろいろなことを乗り越えなければなりませでした。

ただ、不思議と辛いと思ったことはなかったです。
チラッと何もこの年齢になったこんな挑戦せんでもいいんじゃないか?と思いがよぎったこともありました。

ウィーンで第九を歌う、モーツァルトのレクイエムを歌うという旅行会社の企画は以前から知ってはいました。ただ、自分にはあまり関係ないと思っていました。

でも偶然が重なった出会いは大切です。旅行の企画はこれからもあるでしょう。でも僕は元気に歌い、旅行できる時期というのは、もう将来てきにあるかどうかはわかりません。

この機会を逃すと前出の90歳のおばあさんのように「あの時無理してでもウィーンに行けばよかった」と後悔はしたくなかったのです。

次は、11月からの練習開始と2月に行われたミューザ川崎シンフォニーホールの公演の模様など記したいと考えています。



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