こんにちは、
こめまるです。
当たり前ですが、人生終わるまで生き続けなければなりません。
疲れたから、休みたいと思っても、一回あの世に行って、休んでまた戻ってくることは出来ません。
そんな中で、定年と言うのは、ある意味ひと休みできるいい機会なのかもしれません。
僕は、定年後もそのまま働いているので、せっかくの機会を逸したかな、とちょっと後悔しています。
定年後 毎日が日曜日なんでうそ
『定年後のリアル』を書いた勢古浩爾氏は、定年の半年前に34年間勤めた会社を辞めて
その後、文筆業者として生活されています。
僕よりも10年年上なので、年金などもまだ恵まれていたのかもしれません。
文筆業以外は、勤めには出ていないそうです。
最初は、満員電車に乗らなくてもいいや、毎日が日曜日だと、解放感を感じていたそうですが、そんなのも僅かな期間だけだったそうです。
大体、日曜日の休みと言うのは、平日があっての日曜日であって、仕事に平日がなくなれば、日曜日の休みと言うのもなくなるのです。
でも、毎日、ああ、仕事か、なんて通勤していると定年退職して、思いっきり好きなことをするぞ!といってもそのなの最初のうちだけです。
定年後 これからがあなたの人生なんです、なんてうそ!
僕が、まだ40代前半の頃、取引先の方が、急死されました。
確か50代半ばだったと思います。
良く知っている人なので、凄くショックだったのですが、その時、知り合いの業界の人が、「まだまだこれからなのに」と言った言葉に違和感を感じました。
それは、もう55年も生きてきたんだから、これからもくそもあるか、と思ったからです。
定年本で「これからが、あなたの好きなことができる人生なんです。」
なんてバラ色の定年後があるように書いていあるものがありますが、あんなものはうそです。
定年前も定年後も現実があるだけです。
辛いこと嫌なこと8割、たまにいいこと2割って感じですね。
定年後 それでも僕は、新しい人生を目指したい
小学校高学年の遠足で、いまでも忘れられない言葉を発した同級生がいました。
誰が言ったのかは憶えていないに、その言葉だけは鮮明に憶えているのです。
その級友は、
「一歩一歩、死に向かって歩いているんだ」
と言ったのです。
10歳の少年の言葉とは思えません。
多分、彼の周りの大人が言っている言葉を口にしただけなのかもしれません。
でも、僕はなぜその言葉を50年経ったいまでも鮮明に憶えているかというと、それは真実だからです。
つまり日々生きていることは、最期に少しずつ近づいているのです。
そしてそれは誰にでも必ず来るのです。
最後に
最期は誰にでも必ずくるので、のんびり過ごしてそれを待つのも人生。
ジタバタして、やれるとはなんでもやっておこうというのも人生。
僕は、このブログのタイトルのように荒野をめざしたいと思っています。
それは自分にとって未知の世界をめざすということです。
それは誰にでもあることなんだよね。
なぜなら、人生は一回だけだから、これから来る日々は、すべて荒野なんだよ。
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