こんにちは、
こめまるです。
僕は合唱経験がそれほどあるわけではありません。
特に基礎的なことを学べる時期だった、高校生から大学生に掛けては全くやらなかったので、今では少し後悔しています。
今回は、オーストリアでベートーヴェンのミサ・ソレムニスを歌うことに決めたところまで記したいと思います。
僕の初めての合唱経験
中学生の時、僕は剣道部でした。
ある音楽の授業の終わりに、若い女性の音楽教師が、僕と何人かに放課後、音楽室に集まってほしいと告げられました。
声を掛けられた生徒は僕を含め3、4人ほどだったと記憶します。
みんな運動部に属していました。
先生の指示通り放課後音楽室に行くと先生と合唱部員たちが先に集まっていました。
合唱部と言ってもそんな大人数ではなくせいぜい10人程度。みんな女生徒でした。
集まったのは、僕ら以外にも他のクラスから数名集まっていて男子生徒で10名ほどでした。
そして先生は僕らに次のように説明しました。
「今度富山市の合唱コンクールがあるから、混声で出ようと思う。だから君たちにも手伝ってほしい」というものでした。
合唱コンクールというのも新鮮だし、女子と一緒に練習できるというのも魅力的でした。
集まった男子生徒は、誰からも辞退なく、結局3ヵ月ほど週1から2回集めった練習し、コンクールに出場しました。確かなんかの賞を頂いたと記憶します。
初めての第九を歌う
中学で合唱を経験しておきながら、高校、大学と全く興味を示さず、次に合唱をやったのが、それから約15年後の30歳の時。
中学生から高校の前半までは、クラシック音楽に夢中でした。
でもその後ギターを始め、サイモンとガーファンクル、ボブ・ディラン、そしてビートルズとロックやポップスに夢中になりしばらくクラシックを聴かない時期が数年続きました。
でも会社員になり、再びクラシック音楽に戻って来たのです。
その頃ちょうど第九の合唱団募集を目にしたのです。
当時、新星日本交響楽団というプロのオーケストラがありました。その後東京フィルに吸収されたようですが、そのオーケストラが年末に第九のコンサートを開くと言うので合唱団員を募集していたのです。僕は早速応募して約半年の練習に参加しました。
僕より若い人たちも多く練習は厳しいものでしたが、そんな仲間たちとの時間は楽しいものでした。
12月には、そんな仲間たちとサントリーホールと東京文化会館で歌いました。良い思い出です。しかし、その後また時間が経ちました。次に合唱団に参加したのは、もう40歳を少し超えた時期でした。たまたま子供たちと遊びに訪れていた元住吉の国際交流センターでヘンデルの「メサイア」の合唱団員募集のポスターを見かけたのです。
「メサイア」を歌うのは憧れでした。ですぐに申し込みました。その合唱団は、いまもお世話になっている川崎市高津区を拠点にしている高津市民合唱団だったのです。
そして2001年12月24日に洗足学園の前田ホールで「メサイア」を歌ったのです。歌い終わった後、いままで感じたこともない感動を得たのです。
メサイアを歌ってから
ヘンデルのメサイアを歌ってから、僕にはなにか欲のようなものが生まれました。
クラシック音楽を好きと言っても聴くだけ。しかもメサイアのような分かりやすい曲も聴くだけではなかなか分からなかったのですが、実際に歌うと分かるようになったのです。
これなら作品をより知るために歌うというのがいいな、と思い大曲に挑戦していきたいなと思うようになったのです。
しかし40代というと会社員として、また子育ての時期でももっとも忙しい時。
合唱団の方もその後2年ほど在籍しましたが、結局異動で、土日の練習に参加できず去ることになったのです。
でも歌いたいという思いはずっと持ち続けました。
第九、メサイアの後に歌いたかったのが、
・J.S.バッハ「マタイ受難曲」
・ベートーヴェン「ミサ・ソレムニス」
・ブラームス「ドイツ・レクイエム」
・J.S.バッハ「ロ短調ミサ」
今回、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」でなかったら、例えば第九だったらウィーンに行っていたかどうかわからないです。
まとめ
2023年5月某日、僕はたまたま訪れた地元の市民オーケストラ、都筑オーケストラのコンサートに行きました。
実はこのオーケストラには、2021年8月から始めたヴァイオリンの成果としていずれ入団したいと思っているのです。
そのための下見という意味もありました。
ところが思わぬ副産物があったのです。
その時チラシを配っていた合唱団のチラシにベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を歌いませんか。そしてウィーン・ツアーに参加しませんか?と記されていたのです。
まず、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」に反応しました。正直言うと最初は、ウィーンなんてという気持ちだったのです。
でも、ウィーンで、しかもこれから挑戦したいベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」を歌うなんて、もうこれからチャンスなんてないかもしれない。
いや、そんなツアー企画はあっても、自分が老いてしまっては意味がない。
元気な今のうちに行かないと生涯後悔するかもしれないと思ったのです。
そして僕は、ウィーンでベートーヴェンのミサ・ソレムニスを歌のことを決めたのでした。
僕は、2024年11月からミサ・ソレムニスの練習に参加しました。
しかし参加合唱団の定期公演のカルメンと同時練習で、どうしても十分な練習ができなかったので、当然自習が大切になります。
しかも2月の本番直前にコロナに罹り、オケ合わせにも参加できない状況にでした。
しかし、本番にはなんとか参加することが出来たものの自分的にはボロボロ。
コンサートを聴きに来てくれた妻や友人も「良かったよ」とくれたものの本心ではないことは明か。こうなればウィーンの本番に向って頑張るしかないなと決めたのでした。
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