こんにちは。
こめまるです。
夏になると電燈の下に行くと、いろんな昆虫が集まってきます。
甲虫類や蛾の仲間が多いです。
時々、カブトムシやクワガタムシがいて、子供の頃は、朝方電燈の下を見て捕まえたものです。
キャンプファイヤーでもその火をめがけて虫が集まってきます。
それこそ火の中に飛び込んできます。
そんな光景を連想させるから「自ら望んで危険に身をさらすこと」を「飛んで火に入る夏の虫」ということわざが生まれたと思います。
さて、最近の高齢者ドライバーの事故を見ているとこのことわざがよぎりました。
そこで、そのことを考えてみたいと思います。
高齢者ドライバー 気付かない自分の危険性
先日、テレビの報道番組を見ていると60歳ドライバーよりも70歳ドライバーの方が、運転に自信を持っている人の割合が増えているという統計を発表していました。
ところが出席していた多分60代後半から70代前半のコメンテーターが、その調査結果に切れてしまい、「高齢者ドライバーの自覚のなさに誘導するための結論ありきの資料だ!」と激高し、MCのアナウンサーがなだめるというシーンがありました。
生放送ゆえの出来事と思いますが(それとも仕組まれていた?)、僕はその高齢者コメンテーターの反応こそ、高齢者ドライバーに潜む危険だと感じました。
高齢者ドライバー 老いと衰えはいきなりやってこない
僕は、現在62歳。自動車運転免許の返納のタイミングを探っています。
また、運転はせいぜい半径5km以内に限定して運転しています。
免許返納の目安としては65歳を考えています。
家族には、7歳年下の妻も20代前半の娘も免許を持っているし、日常的に運転しているので危険を冒してまで運転する必要はありません。
僕が不思議に思うのは、70歳を超えてもクルマの運転に自信があると答える人がそこそこいることです。
前出のTVの資料でも70歳以上では、自信があると答えた人が不安だという人を抑えていたと思います。
もっとも70歳を超えれば、自信のない人や不安な人は、どんどん免許を返納したり、更新しなかったりで自信のある人だけが残っての結果とも言えます。
でもそんな人だからこそ、壮年期の時の運転と比較して欲しいです。
老いや衰えは、ある日突然やってくるわけではありません。
毎日、少しずつ、少しずつ老いと衰えが確実に進んでいます。
そこだけは認識してほしいですね。
高齢者ドライバー 気付いてほしい自分の危険性
若い者には負けないと、道で追い抜かれるとムキになって追い返す人が、年配者に時々います。見ていて痛々しいです。
若者と老人を比較することは出来ません。
体力という物差しだけで測れば、当然若者の方が上に決まっています。
しかし、人間には様々な面があります。
体力だけが優れていればいいわけではありません。
夏と冬を比べるのと同じで、こと気温だけ見ると活動しやすいのは夏ですが、比べるのはそれだけではありません。
夏には夏の素晴らしさ、冬には冬の素晴らしさがあります。
だから、高齢者ドライバーは気づいてほしいですね。
運転するという行為は、年齢と共に着実に衰えているということを。
最後に
サミュエル・ウルマンの「青春」という詩があります。青春とは人生のある時期だけではなく、心の持ちようだという内容です。
僕はなんかおかしくねぇ?と思っていたら、敬愛する大江英樹氏もこの詩はおかしいと書いていました。
つまり青春賛歌で、青春だけが素晴らしいと言っているようなものだからです。
人生は、青春、朱夏、白秋、玄冬の4つの時期分けて考えられるそうです。(五木寛之著「白秋期」)。五木氏もレースをするほどクルマにのめり込んでいましたが、63歳で免許を返納しています。
クルマの運転に関しては、クルマの運転が生業の方もいるので、ある年齢からは毎年実地試験の義務付けが必要と僕は思います。
それならプロのドライバーは問題ないでしょうし、単に免許を持っている人は、更新しなくなるか、実地試験に落ちてしまうでしょう。
高齢者ドライバーは、飛んで火に入る夏の虫のように誰も望んで危険な運転をしようと思っているわけではありません。ぜひ、ムキにならないで気づいてほしいです。
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