こんにちは、
こめまるです。
還暦まで70日。
もう10年位前でしょうか、
会社の同僚が久石譲さんのピアノ曲のCDを貸してくれました。
タイトルや曲目も忘れましたが、久石さんの自作自演だったと思います。
貸してくれた同僚(女性)はすっごくいいから聴いてみて!
という感じでしたのでちょっとワクワクして期待していました。
曲の感じはあまり憶えていませんが、
ハードな曲ではなく、情感に訴えるような曲想だったと思います。
正直、そんなに良いとは思いませんでした。
その後、フリードリヒ・グルダ(1930-2000)のピアノでベートーヴェンピアノソナタを聴きました。
あっ!こんなに違うんだ!
つまりピアノの音がです。
つまりグルダの方が、ずっと厳しくピアノの音を越えていました。
もちろん久石さんは、ピアニストが本業ではないので、致し方ありませんが、多少の甘さや緩さがあり、ピアノの音のままでした。
でもグルダの音は、ピアノであることを忘れさせるものでした。
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評論家の宇野功芳さんが、超一流のピアニストの演奏は、ピアノの演奏であっても、ピアノであることを忘れさせる、何かで書いておられましたが、このことか、と僕はその時納得しました。
久石さんの曲と演奏はそれだけ聴いていれば十分楽しめれるものです。
しかも本職のピアニストでない久石さんと20世紀の世界的ピアニストだったグルダを比較するのは、久石さんが可哀そうすぎますが、
上には上があるのです。
人々が、飽きもせず、いろんな分野に挑戦するのは、本物を探し求めているからですね。
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