こんにちは、
こめまるです。
年功序列、終身雇用、なんて言葉が、その昔確かにありました。
少なくとも僕が就職した時代からしばらくは意味があったように思います。
実際、僕が就職活動をしていた1980年、81年の会社要項には、どこの会社にも年齢や在籍年齢とともに給料があがる、グラフが表示されていました。
だから新人はもちろん入社数年の社員は、いずれは給料上がるんだからとそれを励みに頑張っていました。
僕もそうでした。
当時、40代半ばの常務は、年収1000万円を超えていると噂されていて、ご本人も否定しなかったので、多分そうだったのでしょう。
30年以上前の1000万円ですから今より重みがあります。
ところが、90年代に入って、成果主義という考え方は入ってきて、それまでの年功序列という考え方は消えていきました。
当時30代半ばで結婚したばかりの僕は、ひそかに転職などの可能性も考えたりしました。
それから20余年、僕は転職もすることなく同じ会社に勤め、めでたく定年。現在は、再雇用制度を利用してそのまま働いています。
定年後 実は延長戦があったんだね
サッカーのワールドカップもあっと決勝戦1ゲームを残すのみとなりました。
決勝トーナメント1回戦で日本を2-3で破ったベルギーが、3位決定戦でイングランドを破り、過去最高位の3位になりました。
おめでとうございます。
相対的に日本の評価も上がったようでひそかに喜んでいます。
さて、初めて決勝戦にコマを進めたクロアチアは、決勝トーナメント全てを延長戦まで戦っています。
選手たちに聴いてみないと本音はわかりませんが、戦う前は、90分で決めてやろう、と延長戦のことまでは考えていないでしょう。
つまり延長戦になるのは、成り行きなんですね。
そうなんですよ、僕にとっては、60歳の定年で終わって、あとは好きなことして余生を過ごそうとなんて思っていた30代の頃とは、考え方は大きく変わりました。
定年後 延長戦の戦いがあるの知った50代
はっきり覚えていないのですが、僕は48歳から52歳に掛けて、大阪に単身赴任していました。
そして、単身赴任から戻ったのがいまから9年前の2009年。
当時は、新しい部署に自信がなく、転職や独立など考えたこともあります。
そして、その3年後には、このまま会社の定年までいてもその先がないと感じました。
当時はまだ厚生労働省から、定年に関する指導がまだなかったと思います。
その頃、僕は、生涯現役を考えて副業なども探すようになりました。
そのうち、厚生労働省の指導で、希望すれば65歳まで働けることになり現在に至っています。
つまりサッカーでいうと90分間戦ったけど決着が着かず、延長戦に突入したようなものです。
3人の子供を全員私立大学に行かせたこともあり、貯金はなく、かろうじて退職金の一部が多少残っているので、これを減らさないためにも働き続けることをいまは考えています。
定年後 延長戦はいつまで続きますか?続けますか?
僕は、周囲の人からいつまで働くんですか?
と質問されたら死ぬまでと答えます。
だって、寿命なんて自分で決められないし、死ぬまでと答えるのが一番確かなものだと思うからです。
そして「死ぬまで働く」と答えると、大抵の人は
「ゆっくりしたくないのですか?」
なんて返してきます。
つまり、質問者の固定観念の中には、働く=苦役と刷り込まれているんですね。
もちろん、昭和32年生まれの僕にも、働くとは苦しいことという意識は強いです。
でもそれは考え方次第です。
仕事は楽しい、と意識を変えれば、逆に仕事を辞めること自体が、辛いことになります。
僕が、一番恐れているのは、身体的な理由で、仕事が出来なくなることです。
僕の心にはいつも、海援隊の武田鉄矢が歌う「母に捧げるバラード」のセリフがこだましています。
人間働いて、働いて、働き抜いて、
もう遊びたいとか、休みたいとか思うたら、
一度でも思うたら、はよ死ね。
つまり働くことが好きな人が楽をしようとしたら辛いんですよ。
まとめ
働くことが嫌いな人はいるでしょう。
しかも定年まで(これからは65歳定年?)
40年近く働いて、もっと働け!と言われたら嫌ですよね。
働くのが好きな僕だって嫌です。
でも何もしないというのはもっと辛いです。
まあ、生物的に何もしない人はいないでしょうけどね。
だってご飯食べて、トイレ行って、散歩言って、テレビ見て、本読んで、僕は仕事を持たない人に対して何もしないというレッテルを貼るのは好きではないです。
経済的に余裕があれば、好きにすればいいのです。
僕は、経済的な余裕がないので収入を得るために働くのです。
経済的な余裕があれば、別の活動をします。
延長戦の戦い方をよく考えて行きたいと思います。
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