こんにちは、
こめまるです。
僕は、ブログを書いている時は、よくラジオをつけて作業をしています。
特には、PC画面上にピクチャー・イン・ピクチャーに設定して、動画を観ながら、いやチラ見しながら書いている時もあります。
つまりの僕がブログを書いている時は、基本ながら作業なのです。
そんな時、ふとキーボードを打つ手が止まる時があります。
それは気になる、興味を感じる情報が飛び込んできた時です。
そんな時は、その情報に聴き入ったり、メモを取ったりします。
先日、キリンの解剖で有名な、郡司 芽久さんのお話しに興味を感じ聴き入ってしまいました。
番組は確かTBSラジオの「伊集院光のらじおと」だったと思います。
その中で、郡司さんは、現在やっているキリンの解剖や博物館の仕事は、無計画、無目的、無制限という考えで行っている、と語っていたのです。
僕は、脳天をかち割られたような衝撃を受けました。
あまりにも自分の持っている常識を根本的に覆す考え方だったからです。
でも郡司さんのこの考え方の中には崇高な志が詰まっているのです。
博物館で収集する情報は、いますぐ必要でないものも多くあります。
しかもいつ必要になるかもわかりません。
もしかして100年後かもしれません。
いま、当たり前にいる生物が、100年後にも存在するかどうかもわからないのです。
だから未来の人たちへのメッセージとして残しておく必要があるわけです。
だから、そんな仕事をしている自分に制約を掛けてはいけない、ということで無計画、無目的、無制限という行動指針としているそうです。
僕はなんか心が軽くなった気持ちになりました。
なんだそれでいいんだ、と。
いままで漠然とではありますが、明確な目的をもって計画的に行動しなればいけないという呪縛に縛られていたように思います。
もちろん、僕の行動が全て目的とそれにそった計画があったわけではありません。
でも、そうしなければ行けないとは頭のどこかで感じていました。
郡司さんのような研究者が、無計画、無目的、無制限ということを大切にされていることで、より軽やかに動けるようになった気持ちです。
キリン解剖記 (ナツメ社サイエンス) 単行本 郡司芽久(著)
郡司さんの近著、「キリン解剖記」を読んでみることにしました。
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