「人生が二度あれば」から50年。

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こんにちは、
こめまるです。

井上陽水さんの初期の傑作、「人生が二度あれば」が発表されたのが、1972年3月のこと。
当時僕は、中学2年生。

発表当時は知りませんでしたが、その後中三の卒業前の寄せ書きに、誰かが「人生が二度あれば」と書いたことで、なにこれ?ということで、井上陽水さんの曲だと知ったのです。

その後、高校生になりギターを始めた僕は、折からのフォークブームで、かぐや姫や井上陽水などの曲を弾いて歌ったりしていました。

その中でも特に僕の好きなLPレコードは、『陽水ライヴ もどり道』でした。
このLPの中でも「人生が二度あれば」を歌っています。

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人生が二度あればの歌詞

歌詞の中で、父65才、母64才となっています。これが陽水さんのご両親のことなのかわかりませんが、『陽水ライヴ もどり道』の中で陽水さんのトークも収録されていますが、少し触れている部分があるので、多分、自分の両親の姿をみて、曲を作ったと思われます。

初めて僕がこの曲を聴いたの頃は、高校生で15才から16才。
自分が64才、65才になった頃なんて想像も出来ませんでした。
両親だって、まだ30代でした。

そして陽水さんの歌詞は、年老いた両親の姿をみている、人生が誰のためにあるのかわからない、そして両親二人でお茶を飲みながら若い頃の思い出話をしているという風景を描いています。

当時、僕の祖父母が70才を超えた位だったでしょうか?
幼い頃可愛がってもらったのに、高校生くらいになるとなかなか会うことも少なくなりました。

当時の僕には、60代は、完全な老人として捉えていたのです。

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人生が二度あれば 自分が64才になって

人生が二度あれば」が発表されてから、ほぼ50年。
当時1970年代のゼロ歳児の平均余命が男性で約69.3才、女性で約74.6才。

つまり64才の男性なら、あと5年ほどの時間しかないことになります。

それなら夫婦でお茶を飲みながら若い頃の思い出話をする図が見えてきます。

しかし、あれから50年経った僕の64才は、かなり様子は違ってきています。

世間では、60代は働くのが当たり前。
逆に悠々自適な老後とはほど遠い時代になりました。

またそれならばと定年後は、自由な働きからをする人たちが増えてきたのです。
サラリーマン時代は、何かを制限がありました。

時には理不尽なまではいかないまで気の乗らない仕事もしなければいけないこともありました。

でも、現代は、自分にその気があれば、定年後や65才の再雇用後も、自営などで自分の好きな働き方、やりたい仕事をすることが出来るのです。

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まとめ

僕が、入社した1982年は、定年が55才と会社案内に表記されていました。
24才だった僕は、その数字をみても特に何も感じませんでした。

当然、その会社で定年までいようとなんて考えもしませんでした。

しかし、入社して38年弱、僕は定年を迎えしかも再雇用で2年弱も同じ会社で働くことになったのです。

50年前に「人生が二度あれば」が発表されたころは、60代にもなれば、あと数年の人生となり、まさに余生を過ごすという発想だったと思われます。

しかし、現在、60代ともなれば、まさにセカンドライフ、第二の人生を楽しむ可能性が出てきたのです。

ただこれも考え方や行動の仕方に掛かっていますが。

つまり50年前は、人生は二度あればなぁ、と憧れるだけでしたが、現代は、行動次第では、まさに人生が二度楽しめることが出来るかもしれません。



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