こんにちは、
こめまるです。
十年一昔と言われたのは、僕が子供の頃。
意味は、時のたつのが早く、世の移り変わりが著しいということで、わずか十年という期間でも、振り返れば、遠い昔のように思われるという意味です。
変化の激しい現代では、10年どころか数年で大きな変化を感じるようになりました。
昨日出版された「おじさんの定年前の準備、定年後のスタート」でも10年前と今の比較からこれからの10年後の変化はどうなるのか、と問いかけています。
一方、変わらないのは人の年齢の進み具合。
1年で1歳年を重ねるのは、昔も今も同じ。
逆に、平均年齢が伸びているから、相対的には時の流れは、もしかしてゆっくり感じるかもしれません。
このギャップってなんなんだ!
ここで、定年後4年目のおじさんである、こめまるが自分の10年前を振り返り、10年後の思いを馳せたいと思います。
おじさんの10年前 過労時代
10年前というと、2011年。
僕は、この2年前に単身赴任先の大阪から戻り、営業企画チームの責任者として朝7時から夜9時まで会社で勤務し、帰宅してからも仕事を持ち帰るという、まさに1日14時間も15時間も労働している状態でした。
しかも休みもきちんと取得しておらず、残業と休出に明け暮れる日々でした。
よく倒れずに生きて来られたと丈夫に生んでくれた両親に感謝したものです。
では、なぜそんなに仕事をしたのか?
会社から、働けと指示されていたわけではありません。でも、やれ自分の職務を全うせよ的なことは言われていました。また、責任を持って職務を遂行するように言われていました。
これが雇う側の常套手段です。
会社は、長時間労働を指示したことはない、と言っても、それをせざるを得ない状況に追い込んでいるのです。
また、当時は私立高校に通う二人と中学生一人の三人の教育費も大変でした。
しかも折からの不景気に給料は下がり、そのため当時10数年前に購入していたマンションを売却せざるを得ないということにもなりました。
いままで生きてきた中で一番苦しい時期だったことは確かです。
結局、その後マンションを手放し、現在のアパートに引っ越し、住宅ローンに苦しむよりその分子供たちの教育費を優先することにしたのです。
この時の選択はいまでも良かったと思っています。
おじさんの現在
10年前からその後約6年後に定年。退職金を受け取りました。子供たちはその後大学に進学し、長男、長女は相次いで卒業、それぞれに道を歩み始めました。
現在次女だけが学生で現在大学院に進学しています。
考えてみれば、この10年で僕は、精神的にはおおいなるゆとりを感じています。
そして10年前を乗り切った自分を心から誉めてやりたいと思っています。
では、何が良かったのか?
1,きちんと会社業務をこなした。
2,住んでいたマンションにしがみつかなかった。
3,家族のことを優先した。
すごく優等生的な答えです。
でも10年前の厳しい状況になったのは、そのまた10年前、そのまた10年前、つまり今から30年前まで遡らないといけないのです。
僕は不動産投資というとんでもないことに手を出していたのです。
ここではそれに詳しく触れませんが、自分の失敗をなんとかちゃらにまで持ってこれたなと思います。
まとめ
そして僕のまたひとつの転機となることが起きました。
プロティアン株式会社が運営する「おじさんLCC」への入会です。
ここで何人もの40代後半から同世代までの方たちと知り合い、その生き方、働き方に刺激を受けるようになったことです。
そして、この度プロティアン株式会社の代表金澤美冬氏が本を出版されました。
「おじさんの定年前の準備、定年後のスタート」です。
僕も一部取り上げてもらっていますが、プロティアン・キャリアを取り入れた働き方、生き方を推奨しています。
詳しくは、ぜひ本書でご確認ください。
僕がいろいろ寄り道してようやくたどり着いたおじさんのための働き方の指南書であり、応援の本です。
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