余命宣告を受けたら?

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こんにちは、
こめまるです。

日本人男性の平均寿命が、80歳を超えています。
つまりその平均に合わせるなら僕はあと17年ほど生きることになります。

でも、それはあくまで平均であって、必ずそこまで生きるという保証はまったくありません。

人の寿命は、自分の預かり知らないことなので、それを恐れるより、生きることを考えていけば良いと僕は思っています。

なぜなら人生の最期は、嫌でも必ずやってくるのです。

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もし余命宣告を受けたら

知人で50代のはじめに大腸がんの手術を受けた方の話を聴きました。

たまたま健康診断の便潜血検査で、検査の必要性があるため、大腸内視鏡検査でわかったそうです。

幸いステージ1で、その後の転移もなく、手術から7年経った今は、元気に過ごされています。

でも、大腸がんと分かった時は、余命5年とか、残される家族のこと、特に子供の養育費などいろなことが頭をよぎったそうです。

その知人の話を聴いて、もし自分が病等で余命宣告を受けたらどうするだろうか?と考えてみました。

知人の場合は、まだ50代前半ということで働き盛りであり、家族、特に子供も未成年だったこともあり、残される家族のことを一番考えたそうです。

つまり余命宣告を受ける年齢と言うのはかなり需要なことです。

一方、僕のように定年を過ぎ、三人の子供たちも全員成人してそれぞれ生きていける力がある場合は、ある意味自分のことだけ考えればいいので気楽です。

逆に妻などに介護の負担を掛けたくないので、コロッと逝ったほうがいいかなとも思います。

そこで現時点でもし余命宣告を受けたらとしたらどう行動するか考えてみました。

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映画「生きる」に観る生き方

黒澤明監督映画「生きる」では、胃がん宣告を受けた市役所の市民課課長の渡辺氏が、残された命をどう生きたかと綴った感動の傑作です。

『生きる』1952年 <<<こちらから視聴できます。31日間無料トライアルがおすすめです。

昭和20年代後半の映画のため、当時はがんとわかったとしても告知はしませんでした。しかし、渡辺氏は、医者の言葉から自分が胃がんであると察知するのです。

察知した当初は、貯金をおろして、夜の町を徘徊したり、若い女性職員をデートしたり迫りくる最期の恐怖から逃れようとします。

しかし、その若い女性職員の言葉から、ハッと目覚めるのです。

市民課の課長として、地域住民から要望が出ている公園の建設に邁進しようと。

そして、その公園の完成を確認して旅立ったのです。

この映画はいろんな観方があります。

自分の最期をした人間の生き方を示唆するものという観方もあるし、家族との距離感、官僚主義への批判、また手柄を自分のものに従る人間の醜さ、またそんな壮絶な人の人生を間近で見ながら変わらない周囲の人間の鈍感さ。

つまり黒澤監督は、視聴者に投げかけるだけで、結論は自分で考えてくれと突き放しているように思います。

黒澤監督は、人間はそんなにすぐに変われない、でも自分の最期を知ることで変われるのではないかと投げかけているように感じました。

まとめ

結局、もし余命宣告を受けた時の僕の結論は、一日一日を悔いのないよう大切に生きるだけだな、と思うのです。

幸いブログも書いているので、このブログに克明に記録するのもいいと思います。

仕事をするも、遊びをするもひとつひとつ丁寧に思いっきり楽しんで、思いっきり悲しんだり、思いっきり怒ったりしながら日々大事に生きていきたいと思います。



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