アンチエイジングと年相応と

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こんにちは、
こめまるです。

2020年も前半が終わりました。しかも4月以降は緊急事態宣言の発令もあり、自粛につき自宅で待機する時間多く、出ることは多かったのにメリハリがなかったのか、何か淡々と過ぎ去った印象です。

62年の人生で2ヶ月間も自宅で待機していたことは初めてで、思い返してみれば計画的にいろいろやれば良かったかなと少し反省しています。

一月は行く、
二月は逃げる、
三月が去るっていう言葉を聞いたことがありますが、今年は、それが2回続けて来たような感じです。

さて、今日はアンチエイジングについて考えたいと思います。

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アンチエイジングを考える

さて、アンチエイジングという言葉があります。
「抗加齢」「抗老化」と訳すのでしょうか。

年齢を重ねることに抵抗するという言葉です。

アンチエイジングという言葉をネットで検索してみると
ハードなものからソフトなものまであるようです。

でも、どちらにしても年を取る事に対して、老化を止めたり、遅らせたり、また中には若返りを図ったりという考え方です。

僕は以前から、この考え方に違和感を感じていました。

人間も生物である以上、老化を防ぐことは出来ず、いずれ最期を迎えるわけです。

抵抗するよりもそれを受け入れて、年を重ねただけの経験や知恵を生かした方がいいのではと思っています。

実は、僕は多少若く見られます。
現在、62歳ですが、50代の後半に見られます。

でも、アンチエイジング的なことは何もやっていません。

つまり結論は、アンチエイジング的な行動をして、若く見られたいというのは、目的ではなく、結果ということです。

つまり若く見られたいという行動は、周囲からは痛い行動と見られるかもしれません。

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年相応を考える

年相応という言葉があります。

年齢につりあっているさま。年齢にふさわしいさま。

という意味です。

でも、年齢に釣り合っているさまとはなんでしょうか?
一般常識として捉えるのでしょうか?

これは、人によってかなり差があると思いますが、
年相応のことをしなさいというと、
特に60歳を過ぎた人間には、大人しくしていろ、と言われているように感じます。

60歳以上の年相応とはなんでしょうか?

僕は、これからの人生は、他人に迷惑にならないことを前提に
やりたいことにやっていきたいと思っています。

それは次の逸話を聴いてからです。

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年相応なんて関係ない。人生は一度しかないから

本当にあった話か、誰かの作り話かは知りませんが、
長寿化している現代の50代以上の人には参考になる話かもしれません。

その話というのは、

ある90歳のおばあさんに何か後悔していることがないかと尋ねたところ、60歳の時にヴァイオリンを始めなかったことだと答えたそうです。

おばあさんは、大人になってからヴァイオリンを習いたいと思っていたけど仕事や子育てでそんな余裕がなかったそうです。

そして60歳になってようやくひと段落したときに
むかしからやりたかったヴァイオリンを習おうと思いました。

でも周囲から、今更とか言われ、
本人もそれに流されて始めなかったそうです。

おばあさんは、それから30年も長生きしたのですが、
あの時、なぜヴァイオリンを始めなかったかと後悔していたそうです。

過ぎてしまった時間は取り戻すことは出来ないのです。

最後に

もし、僕がアンチエイジング的なこと、つまり加齢を遅らせる行動をしているとしたら、それは働き続けていることだと思います。

最近、高齢者施設でも、自分で出来ることは
自分でやってもらうようにしているそうです。

また、紙おむつはしない、していても外す運動が広がっているそうです。

ある、障害者スポーツのボランティアをしている人が取材で言っていました。

「一番大事なことは手を貸さないこと。」

だそうです。

高齢者や障害者には、必要以上の親切は、かえって迷惑になるのです。

相手が本当に困っている時だけ手を差し伸べるれば良いと思います。

結局、アンチエイジングに一番役立つのは、生涯、可能な限り働き続けること、活動し続けることではないかと僕は思います。



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