こんにちは、
こめまるです。
60歳の誕生月の月末で37年間真面目に働いてきた会社で定年を迎えました。
その後、いろいろ考えて1年10ヵ月間、再雇用契約の下で働きました。
再雇用について、一番すっきりしないのは、職務に対する権限と責任の問題です。
立場的には、役職も無くなり、なんといっても一回退職してからの再雇用ですから、権限も責任もないはずなのに、
周囲はその辺がわかっているのかわかっていないのか、〇〇を指示してください、とか言ってくるから、それはあなたが僕に指示することだと思うよ、なんてやり取りは何度もありました。
さて、今日はそんな問題ではなく、『60歳 残り8万時間への挑戦』と言う、ちょっと勇ましいタイトルですが、定年後の時間の使い方について考えたいと思います。
60歳 自由に使える8万時間
よく定年関係の本やセミナーなどで、定年後に自由に使える時間が、
8万時間、中には10万時間あると言われます。
僕も、「定年後」楠木新著の中に書かれていたので、
へえ、そんなにあるんだ、と最初は感心していました。
しかもその8万時間は、新卒で入社して、定年まで会社で勤めた時間に匹敵するということです。
そこからの論調は、定年後は、勤めていた時間に匹敵する時間が、自由に使えるので、無駄に過ごさないで、何かして充実した時間を過ごさないともったいない、という結論となります。
最初の頃は、なるほど、と聞いていましたが、よくよく考えるとこれはおかしいな?と思うようになりました。
定年後 自由に使える8万時間のうそ
まず、誰にでも人生の終わりがありますが、個人差があり、定年後に使える時間と言うのは、結果論であり、誰にでも公平にあるものではないということです。
次に、大体の論調は、それだけの自由時間があるのだから、何かしないのはもったないと煽る感じで、上から目線的であり、何もしないことがいけないことのように語られること。
僕は、定年後の時間の使い方は、ひとそれぞれで良いと思います。
働いてもいいし、趣味に没頭してもいいし、ボランティアをしてもいいし、はたまた、経済的に問題なければ、全く何もしないという選択肢があっても良いと思っています。
だからせっかく8万時間もあるのだから、使わないと損だ、と言う考え自体、なんか自由ではないと思うのです。
定年後の60歳から 自由に使える8万時間に挑戦
だから、僕の結論は、一番大切なことは、定年後にやりたいことがあるか?ということです。
やりたいことがあれば、十分時間があるよ、というシンプルな理解で良いと思います。
次の話は、本当にあった話なのか、誰かの創作なのか知りませんが、僕は次の話が反面教師として好きです。
90歳のおばあさんに、何か後悔していることがありますか?と聞いたら、
おばあさんは、60歳の時にヴァイオリンを始めなかったこと、と答えたそうです。
おばあさんは、若いころから音楽好きで、そのうちヴァイオリンを始めたいな、と思っていました。でも子育てや親の介護などでなかなか始められず、気づいたときには60歳になっていたそうです。
もう60歳になってしまったから、これから始めても、と諦めてしまったそうです。
もしかしたら家族からも否定的な発言があったのかもしれません。
それから30年、おばあさんは、健康に恵まれ長生きしました。
そして最初の後悔していることの話になったわけです。
僕の尊敬する、京都大学の性科学者、脳生理学者で京都大学の名誉教授で現在91歳の大島清氏は、70歳からチェロを始めて、チェリスト、ヨーヨー・マをもじってマーマー・ヨと名乗ってチェロの演奏を楽しんでおらえます。
大島教授は言っておられます。高齢になってから始める趣味は、無理しないで楽しみながら続けること、だそうです。
最後に
結論は、60歳からはやりたいことがあれば躊躇せずやる!ということです。
60歳を超え定年を迎えた後は、やりたことがあればやる!です。そのうち、いつか、今度、また、という言葉をなしです。別に上手くなる必要はありません。
でもやりたいことがないのですが、と言われそうですが、やりたいことは、仕事の延長でもいいですし、子供の頃、学生の頃やりたかったこと、好きだったことでもいいのです。誰でもやりたかったことはあると思います。
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