定年後こそ正解のない荒野をゆく

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こんにちは。
こめまるです。

1967年、今から50年以上前に作家五木寛之が発表した小説が、「青年は荒野をめざす」。
20歳のトランペット吹き、北淳一郎が、大学進学をあきらめて、トランペット一つを持って、横浜からナホトカ号に乗り、ロシアからヨーロッパを旅する物語。

20歳の若者が様々な体験を通して、人間の生活の中にこそ学問があるというと知って行くストーリーです。

僕が、この小説を読んだのが、高校生の時。

高校では五木氏の小説を読み漁り、結局影響された五木氏を同じ大学に進みました。

しかし、大人しく内気な僕は、五木氏の小説の主人公とは違い平凡な会社員生活を送り定年を迎えました。

しかし、定年後こそ正解のない世界が広がっているように僕には思えてきたのです。

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定年後こそ荒野をめざさなければならなくなった

定年後は、悠々自適な生活がしたい、と思っていた人は多いでしょう。
その願いは、現在70歳以上の人たちにはある程度叶えられたかもしれません。

しかし、現在50代半ば以降の人たちは、明らかに先の見えない荒野に途中入手るかもしれません。

しかも何が正解かわからないのです。

多分、定年制度は延長になるか、廃止の方向に行くでしょう。
また頼みの年金も制度が崩壊するとは思いませんが、支給額は減り、受け取れる年齢も先延ばしになると思われます。

つまり、定年までに余程十分な貯えを残しておくか、それがなければ働き続けるしかありません。

人口の圧倒的多数を占める雇われてきた人たち、つまり会社員の人たちは、家族のため会社のため世のため働いてきたのに、背中の荷は多少は、軽くなったけど、まだまだ延長戦が待っているのです。

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定年後 延長戦という荒野

荒野とは、荒れ果てた野原、開発されていない土地のことです。

つまり自分で道を作って行くしかないのです。

感覚的には、青年から壮年、そして中高年と生きてきたら、いままでの舗装されていた道が段々と荒れてきて、しまいには未舗装となり、そのうち道がなくなって目の前には開発されていない草原や森林が広がっているだけになったのです。

さてどっちに向かおうか、少しでも歩きやすい場所を選んでいこうか、いや思いっきり森に入ってみようか、人それぞれ自分の勘と経験を頼って進むのです。

振り返っても歩いてきた道を振り返っても戻れません。

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まとめ

さて、目の前に広がる荒野を誰と進むのか、自分の力で進むのか、それとも乗り合いのクルマに乗るのか?

働いていた会社が出してくれたのが、行先は決まっているけどそこから先は、お好きなようにという再雇用切符。

中には、別の乗り物に乗り換える人もいる。

僕は、オートバイだ。誰にも乗せられない、そして誰も乗せない。
自分の進む道は自分で決める。

途中で転倒するかもしれない、オートバイのエンジンの調子が悪くなるかもしれない。
その時は自分の脚で歩くさ。



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