定年後の生き方 組織からの脱却 自己の解放

こんにちは。
こめまるです。

サンデー毎日2019年11月10日号に作家の下重暁子さんがおもしろい記事を書かれていました。それは定年後の生き方は、組織からの脱却であり、自己の解放だということです。

見開きで3ページ少々の記事なので、下重さんの言いたいことがもっとありそうですが、逆にこれだけは言っておきたいということが書いてあるように感じました。

今日はこの記事を読んだことを踏まえて自分が日々思っていることを書きたいと思います。

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定年後の生き方 時間は未来にある

下重さんは、1977年夫の仕事の関係で半年ほど、エジプトのカイロに住んだそうです。
そしてそこでは、日本と全く違った時間の概念を感じたそうです。

つまり日本での時間の概念は、逆算方式。

日々の生活の中では、何時が始業時間だから、何時に家を出て、朝食は何時で、そのためには何時の起きて、前の晩は何時に寝る、ということを習慣化しています。

人生においても定年が60歳なら、何歳までに結婚して子供を作り、家をローンが長いのでいくつまでに買おうという逆算方式なのです。

別にこれは悪いことではなく、大切な人生設計なのです。

ところが、下重さんがカイロで観た風景は違います。
何時に着きたいから何時に出るという発想ではなく、出るときは出る時間、着いた時が付いた時間という時間は未来のものという概念なのです。

もしかしてこれが時間という本体の概念なのかもしれない。

定年後の生き方 8万時間のうそ

定年後に自由に使える時間が、8万時間、中には10万時間あると聴いたのは、もう3年ほど前だったと思います。

簡単に説明すると、会社員人生で、出勤して業務にあたった時間が約8万時間ほどだそうです。

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それに対して定年後毎日11時間自由に使える時間が20年続くと約8万時間になります。
それだけの自由な時間があるから、何かしないともったいないよという主旨なのです。

最初聴いたときは、なるほどと思いましたが、考えてみるとおかしな話です。
簡単に言うと取らぬ狸の皮算用なのです。

最近の僕の考えは違います。

定年後の時間というのは人それぞれです。最初から何時間あるから何かをやろうという考えは間違っています。つまり時間ありきではないのです。やりたいことがあるかないかです。

定年後にやりたいことがあるから始めて、その結果何万時間だったというのが正解だと思います。

つまり自由に使える時間がいくらあってもやることがなければただ過ぎて行くだけです。でもやりたいことがあれば、自分で工夫して時間を使って行きます。

最後に

下重さんの記事を読んでさすがに作家だなと感心しました。つまり僕がどう表現していいかわからなかったことをさらっと書かれています。

つまり僕が65歳の再雇用の満了を待たず、2年弱で退職したのは、まさに組織からの脱却と自己の解放だったのです。

37年間働いた会社はある意味居心地は良かったし、なんといっても収入が保障されていました。でも60歳も過ぎると人生いつ終わりになるかわかりません。

のんびり8万時間あるんだよと言っていられません。死ぬときは死ぬし、時間はそれまでのもので保障されているのではありません。

収入は激減しましたは、やりたいことをやろうと辞めました。

そしてその決断は、現在のところ精神的には非常に良かった思っています。



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