定年制 現代から想像できない時代 驚きの年齢と訴訟

定年
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こんばんは!
こめまるです。

定年と言うと現代では、60歳というのが一般的です。

でも、今後、年齢が引き上げられたり、定年制自体がなくなるかもしれません。

昭和54年(1979年)3月に今からは想像しがたい、定年制の訴訟に対して、東京高裁が、無効と判断した記事が載っていました。

昭和54年と言えば、約40年前。

昔と言えば昔ですが、60歳の僕にとっては、既に成人していたので、ついこの間、という感覚があります。

今日は、過去のあった驚きの定年制について考えたいと思います。

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定年制 日産自動車 男性より5年早い女性

1979年(昭和54年)3月12日に、日産自動車の定年制が、女性が男性より5年も早い50歳は無効かどうか、という訴訟に対して、東京高裁は、一審に続き無効と判断したということがありました。

当時は、55歳が、定年と定めている企業が多かったようで、実際、僕が新入社員だった’82年(昭和57年)の時は、55歳でした。

しかも、60歳未満の定年が、法律によって認められなくなったのは、最近の事で、施行されたのが’98年(平成10年)のことでやっと20年までのことです。

しかも男女雇用機会均等法が、施行されたのは’86年(昭和61年)4月で、実は私の妻が最初でした。

だから、日産自動車が、’79年に男女差を付けていたのは、と当時の風潮としては、違和感がなかったのかもしれません。

しかし、東京高裁は、その制度は無効と判断したのは、正しい考えでした。

この日産の訴訟よりもっと前を見てみるととんでもない定年制を持っていた企業があります。

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定年制 昭和40年代驚きの女性差別

1969年(昭和44年)、東急機関工業の定年制が、男性55歳、女性31歳という著しく女性に不利な制度のため、女性社員が訴えを起こしたという裁判がありました。

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同年7月に東京地裁は、「女子を著しく不利益に差別する本件定年制は、著しく不合理なもので、公序良俗に反して無効。」という判決を下しました。

しかし、会社側はその判決を不服として、控訴しました。
※最終的には、72年(昭和47年)に和解が成立。


※画像はイメージです。

女性の定年が30歳、しかも結婚解雇もあったなんて、今からは信じられない制度ですが、当時の雇用慣行では当然と考えられていたようです。

多くの働く女性にとっては会社とは、女性であるがゆえに不当な差別を受ける場所だったのです。

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定年制 昭和50年代驚きの男女格差

1975年(昭和50年)伊豆シャボテン公園事件では、社内規定が改定され、男性の定年が57歳、女性が47歳となり、この規定の施行により5人の女性社員が、退職に追い込まれ、それを不服として訴えた裁判です。

裁判所の判決は、当然無効でした。

1960年代の女性の定年が30歳だったよりは、格差が縮まりましたが、まだまだ明確な男女格差がありました。

まとめ

考えてみると、昭和40年にしろ昭和50年にしろ経営者たちは、戦前の教育を受けた人たちがほとんどだったでしょう。

その人たちの頭の中には、男性は仕事、女性は家庭という固定観念が残っていたと思います。

そう言えば、自分が入社した頃は、結婚や出産を経験した女性社員は、まったくいませんでしたが、

今はそんな女性たちが重要な業務を担っています。

いまの息苦しい時代を変えるのは、きっと女性の力だと思います。



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