こんにちは。
こめまるです。
僕も60歳を過ぎて2年ほど経ちました。
60歳というとおじいさんというイメージですが、
自分がなってみるとおじいさんということはあまり意識していません。
ただ、街を歩いていてショーウンドウに映る自分の姿をみると、
自然の摂理通りにしっかり年を重ねていることがわかります。
さて、今日は老いと衰えについて考えたいと思います。
60歳男性 老いと衰えを感じる時
多分、40代の僕は現在の僕を見ると、動きは緩慢になってトロくなったなと思うかもしれません。
そして、60歳の今から40代の僕を見ることが出来れば、動きが素早いと思うかもしれません。
でも、幸いにも普通の人は、徐々に老いていくので、その衰えをなかなか実感できないかもしれません。
そういうことが悪い方向に出ると、運転能力が確実に衰えているのに、「俺はまだ大丈夫」などと過信して、大きな事故につながります。
スポーツ選手のように絶対的なタイムや数、量で計測できる場合は特別ですが、普通の勤め人が、実感として衰えを感じるのはタイムラグがあると思います。
僕が、衰えを一番感じたのは、50代になって駅まで歩いていて人に追い抜かれるようになった時からです。
60歳男性 老いと衰えはいけないことなのか
サミュエル・ウルマンの「青春」という詩があり、特に経営者に人気ですが、僕はあまり好きではありません。
またアンチエイジングという考え方も好きではありません。
簡単に言うと無理をしていると感じるからです。
例えて言うなら、冬に夏の素晴らしさを主張しているようなものです。
冬は寒い、暗いとネガティブな面ばかり見て、逆に夏は、活動的、明るいなどいい面だけをみて主張しているように感じるからです。
冬の素晴らしいところがたくさんあるように、老いにも素晴らしいところがあるところから目をそらしていると思います。
老いとは年齢を重ねてきたことで、少なくても人生経験が豊富で、生きて行く知恵が若い人よりも多いという事は絶対的です。
最後に
そんな人生を重ねてきた人たちが、どうして定年を経験するとあたふたするのでしょうか?
つまり100人いたら80人の人は、何らかの形で雇われて生きてきたわけです。
全く自由に人生を歩んできた人は非常に少ないと思います。
そして定年とは自由になるチャンスなのです。
籠から飛び出すチャンスなのです。
ところが長く世渡ししてきた人たちには、自由になるということが慣れていないのだと思います。
僕は、それに気づいて長年勤めた会社を辞めて自由を求めて歩き出しました。
もしかして、みすぼらしくなるかもしれません。途中で倒れるかもしれません。
でも、それでもいいと思いませんか?
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