こんにちは、
こめまるです。
長くサラリーマン生活をしていると、一緒に仕事をしていた人が退職して行くことは寂しいことです。
でも別れだけが人生とか、出会いは別れの始まりとも言いまし、親兄弟でも、一生付き合えるわけでないので、これは仕方のないことです。
また、職場での出会いと別れは、もっと利害関係の絡んでくるので、よりその言葉の裏に隠された本音を知ることが大事だと思います。
定年間近 退職します、と言ったみたら
定年まで1ヵ月を切って、1週間を切って、僕は、普段職場で顔を合わせない、社員に合うと、定年が間近であることを割というようにしています。
その反応によって、自分の辞め時を図ろうという考えです。
僕は、惜しまれている内が辞め時と思っています。
だからその惜しまれ度合を図りたいな、と思ってる訳です。嫌な性格ですね。
上司や周りから仕事を続けてほしいと言われることは悪い気はしません。
でも、自分にもやりたいことが有るし、結局のところ自分の人生ですから決めるのは自分です。
定年間近 退職します、と言った時の反応は?
さて、現在の周りの反応は、止められたら困ります、代わりの人いないですし、とほとんど同じ反応です。
さすがにさっさと辞めたら?という人はいません。
でも、その言葉の裏には、貴方に辞められたら、面倒なことは自分がやらなきゃいけないから勘弁してよ、というのが感じられます。
なぜなら、僕がそうだったらからです。
所属する部署が無くなるから辞めるというのとは違い、必要な部署で中心的に動いている人が辞める場合は、色んな部署に影響が出ます。
時には、その人がやっていた仕事を何カ所かで分担しなければならなくなります。
つまり仕事が増える訳ですね。
喜ぶ人はまずいません。
だから、〇〇さんいなくなると困ります=〇〇さんが面倒なことやってよ、は同義語です。
特に人手不足の現代は、その傾向が強くなってきていると思います。
定年退職 去る者は日々に疎しはドライな言葉
「去る者は日々に疎し、来るものは日々親しむ」は、人間が生きて行くうえでの逞しさを含んでいると思います。
いくら去られては困るという人でも、いつかは去っていきます。
居なくなった人をいくら惜しんでいても帰ってきません、それならいなくなった現実を受け入れ、やってきた後任と上手くやる方が賢明ですね。
だから、僕は惜しまれるうちに辞めたいと思っています。
それがあと半年から1年というところでしょうか。
それともその真逆にいる、あれっ?まだ居たの?
と言われるくらい、ひっそりと忘れられるくらいいるか。
これも気持ちいいかもしれませんね。
会社の掲示板なんかに退職者の名前として載るまで誰も気づかない、出社しなくなっても2,3日誰も気づかない、外部からの電話もなくなっている。
デスクの上には、パソコン一台だけ。
いやそれもないかも。
大企業では、その真実は不明ですが、追い出し部屋なるものがあるそうです。
そこでは何をさせられるのかわかりませんが、本当なら怖い話です。
いや給料は出る訳ですから、意外と居心地がよかったりして、、、
まとめ
プロ野球の世界でも、それなりに活躍した選手が、まだまだ代打や中継ぎ投手として出来るのに、と惜しまれながら辞める人もいれば、人知れず、二軍生活を送って、ある時、新聞の片隅に退団の名前が載っていて、あの選手まだやっていたんだ、という人もいます。
まだ、人に名前をしてもらった選手は幸せで、無名のまま辞めて行く選手の方が、もしかして多いのかもしれません。
サラリーマンには、定年という制度はあります。
その辞め方も人それぞれです。
でも僕は、定年を迎えて進退に悩んでいる人みんなに言いたい、自分が思っているほど、周りは必要としていません。
だから残るも辞めるも貴方の損得勘定だけです。
得と思うなら残って様子を見る、損と思えば辞めて新しいステージを探す。
なぜなら、去る者は日々に疎し、だからです。
辞めて1週間後には、誰も貴方のことを話題にすらしないでしょう。
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