こんばんは、
こめまるです。
人生100年時代なんて最初に誰が言ったか知りませんが、単に語呂がいいから言ったとしか思えない、ある意味無責任な言葉ですね。
昨年平成29年、日本男性の平均年齢が81歳にもなりました。
ちなみに僕の父は84歳ですは、母を見送った後自分一人でも元気に生活しています。
さて、いくら人生100年時代と語呂がいいからと言いだしても、生き物である人間の寿命がそう簡単に伸びるものではありません。
だから僕は、健康寿命75年時代をどう生きるかを考えたいと思います。
定年後 70代前半で逝った二人の恩人
僕は、この2年の間に、仕事関係でお世話になった二人の恩人を見送りました。
お一人は、74歳で急逝。
前日まで出勤されていたのが、会社のあとるセミナーに出席していた時に急に体調が悪くなり、救急搬送されましたが、帰らぬ人になりました。
もうひと方は、体調が優れず自宅で療養されたいたそうですが、72歳で逝かれました。
それぞれ僕より14歳、12歳年上の先輩でした。
ちょうどお会いした時が、現在僕の年齢、つまり60歳で、その時の元気なお姿を知っているだけに
それから10年と少しで逝かれたことに、ああ、僕もあと10年か、という気持ちにありました。
定年後 8万時間なんてうそっぱち
60歳から、75歳までの期間を黄金の時といって、身体も元気で、扶養の義務もなくなり、自分で自由に使える時間が多いときと言われます。
その自由に使える時間というのは、合計約8万時間で、サラリーマンとして30数年、会社に勤めていた時間に匹敵します。
なお、自由に使える8万時間の概算は、
15時間(1日の自由時間)×365日×15年間≒82,000時間
でも、その8万時間と言うのは一度に来るわけではなく、75歳まで生きてやっと手にする時間です。
でも、その時にはその8万時間はけっして戻ってこない時間で、いやぁ、8万時間もあるんだ、とのんびりしていると、使おうと思た時には、どんどん過ぎていく時間なのです。
定年後 毎日を大切に生きるだけ
つまり8万時間は、過ぎてようやく手にできるもので、大切に使おうが、無駄に使おうが、過ぎてしまえば8万時間は、8万時間でしかありません。
だから毎日、毎日大切に生きるしかないのです。
いつお迎えが来てもいいように、毎日、毎日、大切に生きて行けば、幸いにも長生きした時に後悔しない人生がある分けです。
そうだから、僕は生きた証として、毎日クラシックのCDを一枚以上生きながらそのレビューを書き続けています。
逝くときは前向きで、なんてね。
まとめ
先日、あるクラシックのCDを聴きました。
レナード・バースタインが、ベルリンの壁崩壊記念コンサートで指揮した、ベートーヴェンの交響曲第9番“合唱”でした。
当時71歳の指揮者バーンスタインは、翌年に亡くなるのですが、まるで生き急いでいるように、最後まで世界中を飛ぼ回っていました。
亡くなる数か月間には、札幌にも来て、若者たちのオーケストラを指揮しています。
のんびりなんてしておれませんね。
毎日、大切に生きること、すこしでも後悔しないように生きて行きたいと思います。
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