こんにちは、
こめまるです。
It is never too late to learn.
学ぶのに遅すぎることはない。
何かを始めるのに遅すぎることはない、という言い方をよく耳にします。
ほんまかいな?
と疑っていました。いままでは。
60才の僕がオリンピックを目指して毎日プールに通い出しました。
イケる訳がないよね。
プロのギタリストを目指して、再び練習に励みだした。
なれる訳ないよね。
それが僕の今までの考えでした。
でも、その考えは間違いだったことを認めます。
60才でバイオリンを始めようとした女性
ツイッターのリツイートで、
90才の女性が、いま一番後悔していることが、60才ではもう遅いと思い、バイオリンを始めなかったことだそうです。
という内容の記事が回ってきました。
つまりもし60才で始めていれば、30年間練習が出来たわけです。
せっかく60才の時に始めようと思ったのに自分の可能性を自分で摘み取ってしまったことに後悔しているそうです。
六十の手習いとは
六十の手習いということわざがあります。
六十の手習いとは、年をとってから学問や習い事を始めることです。
学問や習い事をするのに年齢制限などなく、たとえ晩年に始めても遅すぎるということはないという意味が込められています。
つまり年をとって物事を始めても上達しますよ、という意味ではなく、上達しないかもしれないし、年をとると新しいことを始めるのが億劫になってしまうことへの戒めの言葉だと僕は思います。
やらないで後悔するよりもやって後悔したい
同じ後悔するならやって後悔したいね。
若い頃好きだった女性に交際を申し込めないで後悔したけど、断られてもいいから告白したかったね。
人生で先読みして、どうせだめだから、とか、やっても無駄とか、は一番もったいないことで、やってみなかきゃ分からない、ということで、取り合えず始めてみるとことが大切だなと思います。
別に上達しなくても上達しようと続けることが大切だということが最近分かってきました。
まとめ
何かを始めるのに遅すぎることはない、とは、先人の教えだったのだと思います。
つまり年を重ねて、ようやく気付くことだったんですね。
別に上手くならなくても。上達が遅くても自分が楽しければいいのです。
そう言えば、京都大学の名誉教授で脳生理学者の大島清氏(現在91才)は、70才からチェロを始めて、ヨーヨー・マならぬマーマー・ヨと自称してチェロを楽しまれていました。
せっかくこの世に生を受けたのですから楽しまなきゃね!
コメント