こんにちは、
こめまるです。
定年とは、法規・規則により、一定の年齢到達を事由に退官・退職することになっている年齢、または、退官・退職することをいいます。
しかし、もっとその言葉を広範に使って、法規や規則を超えたところで使う例もあります。
先日、見掛けたこころの定年という言葉もそのひとつかと思います。
今日は36年間の会社員人生を振り返ってこころの定年について考えたいと思います。
サラリーマン こころの定年とは
こころの定年とは、元サラリーマンで評論家でもある、楠木新氏が、名づけた言葉だそうです。
以下、ウェブから引用します。
主に40~50代の社員が、組織内で働く意味を見失った状態のこと。
現役サラリーマンで評論家の楠木新(あらた)が名づけた言葉であり、「朝日新聞デジタル:be on Saturday」で“こころの定年”を1年余り連載。
2009年には『会社が嫌いになったら読む本』(日本経済新聞出版社)を刊行した。
楠木は自身の経験と転職者への取材などにより、必要な金銭や地位もある程度手に入れているが満足感や充実感を得られず、組織の中での自分のあり方に悩む中高年が増えているとし、組織の中で生きる他律的な人生から次第に自分の人生を取り戻す生き方を提起している。
楠木新氏の著書は、「定年後」を以前読んでいます。
新書版で、ベストセラーになりました。
なるほどと思わせてくれる本でした。
当時、僕は勢古浩爾氏の「定年後のリアル」や「定年バカ」などを読んで共感を感じていたころですが、現在の僕は、勢古氏の考えには、多少批判的な考えを持っています。
さて、今日は、僕が感じたこころの定年を書きたいと思います。
サラリーマン こころの定年 僕が感じた年代
僕が、現在の会社に入ったのが、1982年(昭和57年)の事でした。
当時既に24才。しかも一浪と留年を一年していたので、入社した年に25才を迎える、遅れてきた新人でした。
でも、いま考えても人間的に未熟でしたね。
ただ、いま自分を誉めたいのは、3年間は、絶対辞めない、と決めて、取り合えず3年は頑張ろうと思い、3年間我慢したことです。
若いということもあり、3年もやっていると何かわかってくることがあり、仕事の中でもやりたいことも出てきました。
最初にこころの定年を感じたのは、30歳を過ぎた頃でした。
自分には、違う仕事が、大げさにいうとこんなサラリーマンをやっているよりも、もっと人のため世のために役立つことが出来るのではないか?
と自分を過信して思ったことがあったのです。
日本語教師の教材を取り寄せたり、音楽療法の本を取り寄せたり、もっと生きがいをもてる仕事があるのではないか?
と思っていたころでした。
しかし、一歩踏み出す勇気がなかったことと、ちょうどその頃から、海外に行く仕事が出来るようになり、入社して5年がたち、仕事も少しずつ面白くなってきた時代でした。
結局、続けていた仕事の中に面白さを見つけて、乗り切ったわけです。
サラリーマン こころの定年 2回目がやってきた
その次にこころの定年を感じたのは、45歳を過ぎた頃です。
その頃、入社以来20年を過ごしていた部署を離れ、違い部署のリーダーに指名され、忙しい日々を送っていた頃です。
しかし、どちらかと言うと脇役キャラの僕が、リーダーというのは、向かないと自分で自問自答しながらの日々で、かなり悩んだ頃でした。
しかもそのうち、会社からもこいつ向かないな、と思われたのか、大阪に単身赴任の辞令が出ました。
大阪に3年半、それなりに楽しくやってましたが、東京に呼ぼ戻されました。
そしてここで現職に就いたのでした。
僕は、既に52才になっていました。
内向的な僕は、ここでも悩みましたが、なんとか定年まで続けました。
まとめ
こころの定年に関しては、もっと深く考えたいですね。
このブログでも引き続き考えて行きたい案件として
書いていきたいと思います。
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