こんにちは、
こめまるです。
僕は、入社37年目、今年で61才になる会社員です。
おかげさまで、勤めていた会社を昨年定年退職して、現在再雇用の契約社員として引き続き働いています。
業務内容も定年退職前と全く同じで、やりやすいのですが、周囲は僕が定年退職したのを知ってか知らずか、今まで通り仕事を振ってきたり、依頼してきたりするのでかえって仕事が増えたくらいです。この辺は自分を守るためにも上手く対応して行きたいと考えています。
さて、サラリーマン人生36年で一番変化したのは通信機器です。
入社した1982年には、ファックスもない時代でしたが、いま自分がいま使っている通信機器を改めて見てみると隔世の感があります。
今日は、この36年を振り返って仕事で使った通信機器について書きます。
携帯電話の歴史 そもそも電話もなかった
映画「クライマーズハイ」。原作は横山秀夫。
堤真一主演で堺雅人、遠藤憲一、尾野真千子など実力派俳優が多く出演した力作で、
2008年夏に、僕が大阪単身赴任時代に観た数少ない映画で、それだけに強く印象に残っています。
1985年8月12日に起きた日航機墜落事故の取材をする群馬県の新聞社のスタッフの仕事を題材にした小説で、僕は小説も読んで印象を深めた作品でした。
その中で、時代を感じさせるシーンがあります。
墜落現場の御巣鷹山に取材に行くのですが、記事を送る通信手段がない。
先に現場に到着した大手新聞社などは既に、近隣の電話のある民家に依頼して家の一部を借りたり電話を借りたりとしていた。
映画中の堤真一が所属する北関東新聞は、到着が遅れ、既に他の新聞社、通信社にお願いしてその民家の電話を借りるシーンがあったように思う。(※記憶があいまいなので違うかもしれないが)
でも、新聞社や通信社が一般市民の協力無くしては記事を送れなかったことは確かで、現代では考えられないことです。
僕自身で言えば、1987年30才になった時、それまでの社員寮を出て、自分でアパートを借りたのですが、その時初めてアパートの部屋に固定電話を引きました。
携帯電話の歴史 初デートで会えなかった
僕は今の妻と結婚したのは、1993年1月の事でしたが、その前年92年の初デートで渋谷で待ち合わせしたのですが、会えなかったという事件がありました。
お互い、待ち合わせ場所を勘違いしていたのですね。
また結婚した当初は、共働きだったのですが、ある日、僕が家の鍵を忘れて、先に帰宅した僕が家に入れず、午後11時頃まで妻の帰宅を周囲で待つということもありました。
ともに今のような携帯電話があればあり得ないことですね。
携帯電話の歴史 青春時代にいまの通信ツールがあったら
僕は青春時代の独身時代にいまの通信ツールがあれば良かったなぁと思うことがあります。メールやLINEがあれば、女性へのアプローチも違っていたかな、と思います。
が! 実は一緒だったかもしれません。
なぜか、僕の青春時代だった70年代から80年代にも女性に対して積極的なひとは積極で、消極的な人は消極的だったのです。
それは今も変わりません。
つまり、昔を振り返って、今の通信ツールがあったらもっと女性と親しくなれたと思っても多分それはなかったと考えた方がいいでしょう。
70年代でも女性と積極的に親しくなりたいと思う人は、その時に使えるツールでアプローチしただろうし、現代でもどんな通信ツールが進んでいても消極的な人は使わないだけなのです。
つまりいつの時代でもその人間に意欲がないとどんなにツールが発達しても持ち腐れになるだけなんですね。
僕は現在、ブログを書き、Facebook、Twitter、Instagram、LINEとそれなりに使っていますが、使わない人は全く使っていないですものね。
まとめ
僕くらいの昭和30年代以前に生まれた人は、現代のインターネットなどの発達は驚きの連続だと思います。まさにドラえもんの世界ですからね。
僕は一番嬉しいのは、個人でホームページやブログを作成した自分の意見が世界に発信できることですね。
僕は中学生時代の夢が、クラシック音楽の評論家になることでしたが、
いまは自分のブログから発信できるのですから。
でも、アクセスしてくれるかどうかは分かりませんがね。
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