軽井沢高原教会 車内広告のメッセージに魅かれ、勇気をもらい

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ある日、朝の通勤時の電車の中で、ひとつの車内広告に目を奪われました。

その広告には次のようなメッセージが記されていました。

どんな夢も、はじめはまっさらです。

大きな成功も、小さな発見も、誰かが行動するまでこの世界になかったもの。
すべての夢は、叶うかどうかより、一歩踏み出す勇気が何より大切です。
いつかやろうと眠らせていたことや、憧れで終わらせていた思いを、今こそかたちにしてみませんか。

ひとつ、深呼吸。

軽井沢高原教会

この広告のメッセージにに惹かれた僕は、このメッセージからこれからの生きる勇気をもらいました。



軽井沢高原教会の歴史

僕は、教会に無縁の人生を送ってきましたが、
軽井沢高原教会の歴史を見てみるとなかなか歴史のある教会のようです。
1921年(大正10年)が原点ということですから、3年後に100周年を迎えます。

HPから歴史の部分を以下に引用します。

軽井沢高原教会の歴史

1886年、カナダ人宣教師、アレキサンダー・クロフト・ショーがこの地を訪れて以来、軽井沢にキリスト教が根付き、各教会では信仰が育まれてきました。軽井沢高原教会は、1921(大正10)年に開かれた「芸術自由教育講習会」を原点に誕生。内村鑑三をはじめ、北原白秋、島崎藤村ら当時を代表する文化人が集い、「真に豊かな心」を求めて、熱く語り合ったのです。

そして、芸術自由教育講習会からひとつの理念が芽生えました。「遊ぶことも善なり、遊びもまた学びなり」。何事においても慎みが求められた時代にあって、芸術自由教育講習会は、感じたことを感じたままに表現し、自由に討論できる空間でした。その空間をこよなく愛した内村鑑三は「星野遊学堂」と名づけました。そして、芸術自由教育講習会の理念は、この地で受け継がれていくこととなったのです。教会の歴史には、信者を募る場ではなく、軽井沢の自然とキリスト教の愛のもと、心の交流の場になることを願った内村鑑三の思いが貫かれています。

なんか、車内広告のメッセージには、始まった時の精神がそのまま表現されていますね。




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軽井沢高原教会 夢をあきらめないで

今から30年以上前、30歳前後の僕は、まだ独身で将来に向けてどうやって生きて行こうか、とあがいていた頃です。

その頃、良くカセットテープで聴いていたのが、岡村孝子の「夢をあきらめないで」という歌でした。

ただ、僕には夢がなかったなぁ。。。

結婚もしていなかったし、仕事もいまの会社で働いて5年目くらいの時でしたでしょうか?
この会社で働き続けるのかどうかの覚悟も決めていませんでした。

それから30年、僕は定年を迎えました。
ようやく夢をみつけたように思います。

※画像は軽井沢の教会ですが、軽井沢高原教会ではありません。

軽井沢高原教会 これからの夢

夢を見つけられず、悶々としていた30年前。
それから30年、僕は60才の還暦となりましたが、なんか吹っ切れたように
夢を追い続けようと思います。

僕は、中学生の頃からクラシック音楽が好きでした。
中学生の頃は、将来、クラシック音楽の評論家になりたい、と思っていました。

ところがその時の夢も大学生になるくらいには忘れてしまい、
生きて行くために就職して今に至るわけです。

この30年の間にインターネットが発達して、自分のメッセージがダイレクトに世界に発信できるようになりました。

つまり僕のクラシック音楽のCDやコンサートレビューが、世界に発信できるようになったわけです。↓ ↓ ↓

クラシック 名盤 感動サロン
クラシック音楽は精神の隠れ家。現代の管理社会に病み疲れた人に癒しと明日への活力を与えてくれます。

まだまだ、読んでくださる方も少ないですが、楽しい記事を発信していきたいな、と思います。



まとめ

人は誰でも夢があります。夢があるからと言って、必ず叶えられるわけではありませんが、夢を持たないと叶えられません。

それには、夢をあきらめないで、まず一歩踏み出すことだと思います。

細やかな夢でもいいではないですか。

誰にも侵されない世界を求めて一歩踏み出してみませんか?




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