猫が教えてくれた。人生は1回、生きることだけ考えたい。でも最期は

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生き物を飼うことの尊さ

 

こんばんは、ともやんです。
今年もあと10日ですね。

 

2017年はいろいろありました。

 

その中でも、僕に多くを教えてくれたのが、愛猫コメの死でした。

 

よく、生き物を飼うのを躊躇する理由として、いずれ訪れる最後の別れが辛いから、という人がいますが、なにを甘ったれているのかと思います。

 

むしろそれを経験して乗り越えるために、僕は生き物を飼うことは
大事だと思います。

 

特に子供がいると家庭では尚更と思います。

 

何と言っても最後の別れと言うのは、全ての生き物に来ることですからね。

 

生きることの辛さ、虚しさ、そして有難さを知るいい機会と僕は思います。




 

愛猫の死が教えてくれた

 

今年の5月?6月?、はっきりした時期は憶えていませんが、愛猫コメ(14才、オス、雑種)の食欲が落ちてきて、あまりエサを食べなくなりました。

 

※元気な頃のコメ

 

最初は、毛玉かな?餌を銘柄を変えたからかな?

と思っていましたが、2~3週間回復しないので、近所の犬猫病院に連れて行きました。

 

娘が連れて行きましたが、そこで衝撃の診察結果を聞いてきました。

 

それはお腹に大きな腫瘍が出来て、もう手遅れだということ。

 

もしちゃんと治療するなら大きな病院に行って。CTスキャンを受けて、
外科手術で取り除くしかないというものでした。しかもその手術は数十万は掛かる高額なものらしい。

 

しかも手術したとしても治るかどうかわからない。何と言っても14才と言えば高齢。

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その近所の病院としては、延命として点滴を打つしかできないということでした。

 



愛猫に下した辛い選択

 

我が家としては、コメがいくら家族的存在としても、手術に数十万円掛ける余裕はない。

 

結局、僕と妻は点滴で延命を選択しました。

 

その時は少しでも長く一緒にいたいという気持ちでの選択でしたが、
いまではこれはコメを逆に苦しめたのでは、と思っています。

 

点滴は、1週間に1回、僕の休みの日に連れて行きましたが、
全部で6回打ちました。

 

でも最後の死ぬ2日前の時の情景は忘れられません。

 

それは既に全盛期の半分近くまで体重が減って、きちんと立ち上がることも出来なくなっていましたが、その時ばかりは点滴をとても嫌がったのです。

 

「おとうさん、ぼくももういいんだよ」
と言っているようでした。

 

その二日後の朝、コメは永眠しました。

最後まで一人でトイレに行っていたコメ。
人が訪ねてくると必ず挨拶に出てきたコメ。

 

僕は、その品格に敬意を払わずにはいられませんでした。

 

たかが猫、されど猫。

教わることは人以上かもしれません。

 




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