こんにちは。
こめまるです。
生まれた時代、生きてきた時代は変えることができません。
そして、その人の価値観や人生観は、多かれ少なかれ、自分が生まれ育った時代の影響を受けているものです。
昭和の東京オリンピックと少年時代
僕は、東京オリンピックを2度経験できた、もっとも若い世代にあたります。
そう1964年と2021年ですね。
僕より1歳半下の妹は、64年の東京オリンピックはほとんど憶えていないそうです。
1964年(昭和39年)の東京オリンピックの時、私は小学1年生でした。
授業が終わると家に向かって走り、小さな白黒テレビに夢中でかじりついていたのを今でもよく覚えています。
当時の街には野良犬がうろつき、トイレは汲み取り式。
ほんの少し前まで「人生50年」と言われていた、そんな時代でした。
一方で、父の給料は年々上がり、冷蔵庫、洗濯機、テレビといった家電が次々に家にやってきました。
父が初めて月給10万円をもらった日、封筒を見せながら誇らしげだった姿は、いまでも忘れられません。
上京、そして社会人へ
1977年(昭和52年)、19歳で大学進学のために上京。
僕は、高校は普通高校ではなく、5年制の国立高専に通っていました。
しかし学校の勉強よりも、五木寛之さんの小説を読む方が好きで、その影響で高専を3年で退学し、1年浪人の後、五木さんと同じ大学に行くことが出来ました。
本当にラッキーでした。
でも当時の大学は、中学時代テレビで見た学生運動のイメージとは裏腹に、僕のキャンパスライフは驚くほど平和でした。
卒業後は、縁があって港区にある宝飾品の専門商社へ就職。
宝石に特別興味があったわけではありませんが、「とにかく就職しないと」という気持ちからの選択でした。
東京が好きだったこともあり、実家に戻ることなくそのまま東京で社会人生活をスタートしました。
入社時の会社の社則には「定年55歳」と書かれていました。
24歳の私にとって定年は遠い話でしたが、当時48歳だった父を思い、「父もあと7年か」と少し意識したのを覚えています。
結婚と将来への意識の変化
1993年、35歳で結婚し、3人の子どもに恵まれました。
この時、「60歳まで元気で働きたい」と考えるようになり、60歳という年齢が具体的に意識され始めました。
同時に「60歳を過ぎたら働くのがしんどくなるかも」という不安もありました。
気づけば定年は55歳から60歳に引き上げられていて、特に大きなアナウンスもなく、社会全体がその流れになっていたのです。
副業への関心と葛藤
40代になると、「もう転職は難しい」「定年まで働くしかない」という思いと、
「独立してみたい」という希望の間で葛藤するようになります。
その結果、55歳を過ぎた頃から副業を始めました。
私が選んだのはアフィリエイト。
成果は思うようには出ませんが、今も継続しています。
これは「もう一つの働き方」の実験でもあります。
人生100年時代と定年後の選択
50代後半から、私は「元気なうちは働き続けたい」と思うようになりました。
そして2019年9月末に定年退職。
同時に、社会の空気が変わってきたのを強く感じました。
そう、「人生100年時代」です。
60歳で定年しても、65歳までの再雇用を経て、さらにその先があります。
健康で、意欲があるうちは、もっと自由に働き続けてもいいのではないかと思うようになりました。
ただ僕が、会社員を辞めた直後に世界的なパンデミックに襲われました。
新型コロナウィルスです。
ただ、それもラッキーだったかもしれません。
恐怖におののきながら、満員電車で毎朝通勤しなくても良かったからです。
しかも僕が勤めていた会社は、コロナ禍でもリモートワークはしなかったようですから尚更でした。
おわりに
「働くこと=苦しいこと」と捉えがちな日本社会。
しかし私は、働くことは「生きがい」であり、「健康維持」にもなり、「収入」にもなる、人生において重要な営みだと考えています。
定年後は、自由で柔軟で、自分らしい働き方を見つけるチャンスです。
私自身も、これからも試行錯誤しながら、新しい働き方を模索していきたいと思っています。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。
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