早稲田 三畳間 青春記

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こんにちは、
こめまるです。

面白い本に出会ってしまました。
その本は『ワセダ三畳青春記』高野秀行作。
高野氏はノンフィクション作家で1966年生まれ。

早稲田大学探検部出身。
人が行かないようなアフリカの未開地、東南アジアの山岳地帯、アマゾンの奥地などに行って何ヵ月時には1年に渡って過ごし、そこでの体験ルポを書いています。

本も何冊も出していますが、今年の2月にTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」に出演していて、そこで世界の納豆を追いかけてアフリカに行った話をされていて一気に興味を持ってしまいました。

安住紳一郎の日曜天国 2022年2月20日放送分

当時のラジオ放送は、Youtubeで公開されています。46:00過ぎに高野氏が登場します。

この時の放送を聴いて、早速高野氏が22歳から33歳まで過ごしたワセダの三畳間の話を綴った本を買いました。
しばらく部屋に埋もれていたが最近一気に読んだ。お・も・し・ろ・い!!!

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ワセダ三畳青春記のアパート

高野氏がワセダの野々村荘三畳間(最後の3年は四畳半)に住んでいたのが1989年から2000年まで。
僕は、87年から92年までワセダに住んでいたので3年重なっています。
もしかしてどこかですれ違ったかもしれない、と勝手に思っています。

そう思うとじっとして入れなくなり、『ワセダ三畳青春記』の舞台となったアパート野々村荘を探しに先日ワセダに行ってきました。

高野氏が住んでいた野々村荘(仮名)のイメージは、高橋留美子作『めぞん一刻』の一刻館が連想されます。
本文中にも一刻館に触れています。

しかも管理人(大家)さんも響子さんのような未亡人(ただ年齢は響子さんより40歳以上年上だったが)。
さて、結論から言うと大体の場所を地図で調べて行ったのですが、結局見つけられませんでした。

なんと言っても高野氏が住んでいたのが22年前だし、大家さんもその時点で高齢。
続いていたとして建て替えもしくは人手に渡ったか、なんて考えてしまいました。
ちなみに野々村荘というのは名称は仮名で場所も正確な表示はないです。
僕は大体の場所を本文中の内容から推測してみました。

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早稲田大学 オープンキャンパス

当日は、副都心線の西早稲田駅から早稲田大学に歩いて向かったのですが、戸山キャンパスが近づくと、あれ?日曜日なのに人が多いな?と思っていたら早稲田大学のオープンキャンパスが行われてたのです。

そっか今は夏休みで受験生にとって追い込みの時なんだな、とぼんやり思いました。

僕にはそんな経験など全くなかったのですが、僕が予備校生の時はほんとうのぼんやり、のんびりしていました。
私はそんな夢見る若者たちを横目で見ながら、

僕は、野々村荘が見つけられなかったことで肩を落とし大隈商店街でひっそり開いている喫茶店でビール飲んで帰ってきました。

そのたまたま入った喫茶店は、高齢の女性がひとりで店番していて、僕が入った時は客はひとりもいませんでした。
もしかして普段の日曜日は休業なのでしょうが、オープンキャンパスだから開けてみようかって乗りのようでした。

ビール飲みながら、書きかけのブログを追記して2つばかりアップして、いい感じで過ごしました。

また涼しくなったら探しに行くぞ、なんて思いながら。

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まとめ

早稲田大学にたまたま入ることが出来て、かと言って充実して日々を過ごしたわけではなく、今考えるとお前は5年間何をやっていたんだ!と喝を入れたいところですが、まあ、全く無駄ではなかったような気もします。

なんせ優れた先輩、同輩、後輩を多く輩出している大学ではあるわけで、ワセダというとなんか親近感を持ってしまいます。
まあ、落ちこぼれではありますが、利用しない手はないので今後もワセダには付かず離れず行こうと思います。



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