こんにちは、
こめまるです。
先日、母校の早稲田大学に行ってきました。
特に深い理由はありません。
所用で上野に出た時に、そう言えば、上野から早稲田行の都バスが出ていたな、と思いだしたからです。
そう思いながら、上野界隈を歩いていると、松坂屋の前でちょうどバス停があったので、行先を確かめると、
「おお、早稲田行きではないか!」
とバス停を見つけました。
バス停の名称は、「上野松坂屋前」
ここから都バスに乗って早稲田に向かいました。
学生街の喫茶店
さて、結論からいうと僕の乗った都バスは、超遠回りの路線でした。
上野を出てから、千駄木、駒込、千石と行くので変だなと思いましたが、まあ、東京見物よ思えばいいか、ということで1時間も都バスに乗っていました。
また降りた停留所も間違っていて、関口一丁目で降りる所をその前の鶴巻町で降りてしましました。
ようやく着いた早稲田大学。
この前来たのは、意外と最近で昨年11月。
新型コロナ禍で、大学はオンライン授業で、普通なら学園祭にシーズンにも関わらず、キャンパスにはほとんど学生の姿を観ることはありませんでした。
しかし、あれから約半年が過ぎた現在、緊急事態宣言下にかかわらず、キャンパスは学生で溢れていました。
さて、僕がまず行ったのが、僕が上京して大学に入学し、最初にアルバイトを始めた学生街の喫茶店。
その喫茶店は44年経ったいまでも健在でした。
ランチには少し遅い時間でしたが、15時までランチタイムということでお店に入ってランチセットを頼みました。
実は、数年前にも訪れていて、その時現在の店主と多少会話をしました。
僕が、44年前にアルバイトをしていた時のマスターは、既に亡くなったそうです。
多分、当時でマスターは50代だったと思われるので致し方ないことでした。
確か、僕よりも少し年上の息子さんがいたと思います。
学生街の喫茶店 あの日もまま
お店の外見も内装も44年前のままです。
というか、もっと綺麗にしろよ、思うくらい、色々ものが置かれていました。
ただ、雑然というよりもそのまま年輪を重ねたという感じでした。
学生だからか、多分ご夫婦でされているんでしょうか?60歳前後のマスターと奥さんでした。
2階はそれなりに広いのですが、喫煙OKなので、以前隣の席の喫煙者に閉口してすぐ出たことがあります。
だから今回は1階席。
テーブルが3卓だけで、10人も座るといっぱいにないそう。
そこで、ランチのスパゲティ―を食べ、食後の珈琲を飲みながら、ボンヤリお店に出入りする学生たちを見ていました。
そう言えば、学生時代はいろんなヤツがいたなぁ。その後就職して彼らはどうしたんだろうか?
夢を持ちながら、サラリーマンとして働いて、生きていく術を身に着け、世の中は思うように行かないことを受け入れ、理不尽なことにも耐え、家族を養いながら、定年を迎えた人も多いのかもしれない。
自分は、自分の思い描くような生き方を出来たのだろうか?
まとめ
誰でも昔は夢や希望があったと思います。でも現実を生きていくとき、どうしても封印してしまうこともあります。
そのうち、いつかは実現したい、自分の好きなことやりたいことをして生きて行きたい。
それを実現できる最大のチャンスが定年後かもしれません。
定年後なにをやったりいいかわからない時は、原点に戻てみるのがいいと思います。
そんな意味では、社会人になる前の場所で思いを巡らすのもいいと思います。
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