こんにちは、
こめまるです。
今日は、毎年行っている花見ツアーをしています。
ツアーというと大げさですが、僕が学生時代過ごした神田川沿いの桜並木をみるだけなんですけどね。
そしてついでに大学の構内を歩いたり、学生街の食堂で食事したりノスタルジーに耽るツアーです。
もう7~8年ほど続けています。このツアー記は改めて報告します。
定年後 散歩で思索
現在、この記事が東京メトロ早稲田駅近くのドトールで書いています。
歩くのは好きです。今日は高田馬場駅から神田川沿いを下って早稲田まで来ました。
さて、今日歩きながら考えたのは、なんで30年も40年も社会人として生きてきた人たちが、定年後、そして60代になって生き方に悩みだすのか?
そして誰かの意見に頼ろうとするのか?
ということを考えてみました。
それと最近の新型コロナウイルスへの対応についても、なんで国が明確な指示を出してほしいと自分で考えることを止めているのか?と不思議に思うことが多いです。
ただ、これはメディアのせいでもあると思います。
つまりテレビなどでインタビューされている市民の映像を流していますが、これはわざと国の指示がほしい、という人の意見を流していると思います。
※横浜市営地下鉄 センター南駅周辺
ただ僕の肌感覚では、過半数以上の人たちは、逞しくしたたかに生き抜いているような気がします。
それは僕はアルバイトしている量販店やファミレスで接する人たちから感じることです。もしかして日本は意外と早く終息するかもしれません。
なぜならそんな人たちは、新型コロナウイルス禍の後の生活を考えていると感じるからです。
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本ページの情報は2021年1月時点のものです。
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つまり僕の好きなことが、2009年1月に公開された映画『感染列島』のテーマでもある、
「たとえ明日世界が滅びるとも、君はリンゴの木を植える」
例え、どんなことがあっても人はこれからに向かって生きて行こうとするのです。
定年後は誰も指示をしてくれない
さて、定年後指示されないと動けない人がいるようです。
60年も生きてきた人生のベテランがなぜ定年後に悩むのか?
それは自分で判断、決定をして行かなかればならないからです。
つまり、小学校から高校、そして大学となれば、自分が選択しているとも大体の流れが決まっています。また社会人になって多くの人は就職して企業などの組織に属するようになります。
しかし、定年後、65歳などの節目になると近年は、過去の例が参考にならなくなりました。
ここからが、生活力の違いが出てきますね。
だから、サラリーマン時代、管理職だった人よりも実務に長けた人の方が強いかもしれません。
僕は、サラリーマン時代最後の10年間は、営業企画チームという部署にいってイベントの企画と運営をやっていた経験が役立っています。
つまり誰に指示してくれない、逆に自由なのです。
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