定年後 僕の人生は自分に戻ってくる 誰のために生きるか?

シニアライフ
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長く会社員生活を送った人が、

最期の時に、しみじみと思うのは、

ああ、サラリーマン生活を真面目に送って幸せだった、

残業も休日出勤も厭わず、会社のために一生懸命働いた、

ああ、俺はなんて幸せな人生だったのだろう!

とは、絶対に思わないだろうと思います。

 

なぜなら、それは生きるための手段だったからです。

 

では生きるとはなんだろう、そして目的とななんだろうと思います。

今日はそれについて考えたいと思います。




定年後 生きる目的について考えてみた

齢、60歳を過ぎて生きる目的を考えるなんて

遅いんじゃないの?と思います。

残りの時間も少なくなりました。

でもだから考えたいともいます。

 

むしろやっとわかったのだと思います。

 

また、生きる目的は、人によって違うと思うし、

そうでなければおかしいとも思います。

 

僕が考える生きる目的は、後世にタスキを渡す、ということです。

つまり、自分の生きた証を後世に伝えることです。

 

これも残すものはいろいろあります。

芸術家やアートストならその作品であり、

会社生活を送った人なら仕事の成果だったり、

経営者ならそれこそ企業を続けることです。

 

そしてその基本にあるのは、子供にタスキを渡すということです。

家族を持ち、子供をもうけ、育て、社会に送り出す。

僕はつまるところそれだと思うのです。



定年後になってやっとわかった、人生の目的

普通の平凡な人間にとって最大限できることは、

家族を持ち、子供を産み、育て、社会に送り出す、

それが最高の目的であり喜びだと思います。

 

先日、息子と食事した時も、

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説教じみたことだけは言わないようにしようと思っていましたが、

いう必要もなく、息子はとうに親を超えていました。

 

二人の娘も成人して、一人はまだ学生ですが、

それぞれの道を歩み始めています。

親としては、見守りサポートしていくだけです。

 

子供たちの幼少の頃の可愛らしさと言ったらありません。

今はその頃を思い出し、涙する毎日です。

もちろん実際に涙は流しませんが、

心の中で思い出しては泣いています。

 

だから、人生の目的はほぼ達したと

言ってもいいのかな、とも思います。



定年後 僕の人生はやっと戻って来た

僕のサラリーマン人生は、

あと数か月に終わらせる予定ですが、

振り返っても、良く生き残って来たなと思います。

 

現在は、残業も休日出勤も全くない契約社員ですから、

当時の残業も休日出勤も厭わない働き方は、むしろ異常だったとも言えます。

でも、働き盛りや役職者が定時で

さっさと帰ることにも違和感を感じたりします。

そんな心の中の葛藤は複雑です。

結局僕は、社畜として飼いならされてしまったのかもしれません。

ようやくそんな生活から、羽ばたこうと考えています。

やっと自分の人生が戻って来たという感じです。

最後に

人生は終わりがいつ来るかわかりません。

定年という一つの区切りで、生き方を変えられそうです。

僕は、定年という制度はあった方が良いと思います。

なぜなら一つの目標と出来るからです。

さあ、来年の夏の独立を目指して準備、準備!



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