こんにちは、
こめまるです。
新型コロナの感染拡大に付き、2月7日までの予定で緊急事態宣言が発令されています。現状を見ているとあと1週間ほどで下火になるとは思えないですが、政府はどう判断するのでしょうか?
さて、新型コロナ禍において、特に大勢での会食は控えなはれと言われています。自粛という名のほぼ禁止状態です。
だから、年末年始の忘年会、新年会は、それなりにやったので現状なのかと思いますが、これからの送別会や歓迎会は、まず難しいですね。
歓迎会はまだしも、送別会となるとそれでお別れなので淋しいかもしれません。
特に長年一緒に働いていて、定年で退職する人は、サラリーマン人生の最後が、フェードアウト状態で気の毒という感じです。
まあ、それも考えようなので今日は、それについて考えたいと思います。
定年退職と送別会
僕は、約1年半前の2019年7月末で37年間働いた会社と退職をしました。
有難いことに送別会を開いてもらいました。
50名ほどの後輩たちと僅かな先輩が出席してくれました。
僕は、それぞれのテーブルを廻って集まってくれた人たちと記念写真を撮りました。
花束まで頂いて気持ちよく帰宅しました。
さて、こんな会を開いて頂いてなんですが、その時、頭のどこかで、いま集まってくれた人たちのほとんど、今後の人生の中で会うことはないんだな、という感覚としきりとLINE交換を求めてくる後輩たち、「また、分からないことがあったら連絡します」という同僚たちとの付き合いはもうないんだな、という思いが、会の楽しさと交差していました。
ただ、こんな思いをしたのも送別会を開いてもらったからで、僕より1年後の昨年7月で45年間勤めた先輩は、新型コロナ禍でもあり、送別会は開かれず、後輩たちが各営業所からやってきて挨拶にきて終わったそうです。
後輩たちは、そのうち送別会を開きますよ、と口々に言っていたそうですが、長引く新型コロナ禍で、それも開かれる気配はなく、現役でのサラリーマンである後輩たちも日々の仕事に追われ、それどころではないでしょう。
定年退職 去る者は日々に疎し
去る者は日日に疎し、ということわざがあります。これは亡くなった人や親しかった人が遠く離れることで縁が薄くなっていく無常を表すことわざです。
現役のサラリーマン時代、それは何度も経験してきました。一緒に仕事をいていた頃は、あんなに熱く仕事に打ち込んでいたのに、その人は異動になったり、離職したりするとしばらくすると思い出すこともなくなりました。
一方、代わりにやってきた人と今度は、一緒に仕事をして親しくなっています。
僕が、定年退職(正確には再雇用で2年じゃいたので定年後の退職)に際していつも戒めていたのは、仕事の別れは今生の分かれということです。
もっとも仕事を離れてもお互い連絡を取り合う友人は、数名います。
定年後のつきあいはそんなものでいいと思います。
また、アルバイト先やサークルなど新しい出会いもあります。
最後に
先日、本屋で『あの人はなぜ定年後も会社に来るのか』中島美鈴著という本を見つけて購入しました。
簡単な解説は、
心理学が明かす、「将来への漠然としたモヤモヤ」の正体!
休みの日にやることがない、友達が少ない、定年後のプランが決まっていない――。
会社という居場所を失ったとき、なぜ男性は、女性に比べて老後の時間を有効に使えないのか?
それは男性が社会の中で集団的に形成してきた、特有の「認知」のあり方に原因があった!
あなたを支配している無意識の「考え方のクセ」とは何か?
どんな”定年本”を読んでも解決されない切実な悩みを、認知行動療法の専門家が根本から解説。
だそうです。
ジャック・ニコルソンが主演をした『『アバウト・シュミット』(2002年)』というアメリカ映画があります。アメリカに定年があるかどうか知りませんが、退職時にあれほど、また遊びに来てください、と言っていた後任を後日訪ねて行くと、忙しいからと素っ気なく言われ、自分が苦労してまとめた資料も段ボール箱に入ったまま。
そうなんです。定年退職後はフェードアウト。以前自分のいた場所に居場所はなく、そこにいた人々の心からもフェードアウトするのです。
新しい自分の居場所を探すしかないのですね。
コメント