定年後 生き残って思う

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こんにちは、
こめまるです。

63年間生きてきて、何が嬉しいかと言うと、この年齢まで生き残ってこれたことです。

僕が、37年間勤めていた会社に入社したのが、1982年(昭和57年)のこと。
会社案内には、定年55歳と記されていたことをいまでもはっきり憶えています。

ただ、当時は会社に定年まで勤めた人はいなかったし、僕自身30年後か、生きてんのかな、程度にしか思いませんでした。

では、なぜ大学生だった僕は55歳の年齢を憶えていたか?
単純に55歳という年齢が、遠い未来としか思えず、生きているんだろうか?と素朴に感じたからです。

だって、当時父親もまだ40代でした。

それよりも僕が生まれた昭和30年代前半は、まだ人生50年という風潮があったのです。
まして60歳以上なんて信じられませんでした。

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定年後 生き残って思う

サラリーマンとして過ごした37年間は、いまでこそ働き方改革と言われ、労働時間の短縮が当たり前だし、残業はいけないものという常識になりつつあります。

しかし、僕は20代から50代前半くらいまでは、残業、休出は当たり前、しかも僕が勤めていた頃の経営者は、有給は悪だということを公言するような人で、それが会社の文化にもなっているくらいでした。

だから過労で出勤できなくて辞めて人も多いようです。
中には、過労が原因どうかわかりませんが、亡くなった人もいます。

また、取引先の方で親しくお付き合いを致していた方にも亡くなった方が何名がいます。

皆さん、事故とかではなく病気や急死でした。


提供先:Joshua WoronieckiによるPixabayからの画像

定年まで、そんな方々を何人も見てきて、本当に定年後を迎えられたことに感謝しています。

だから、定年後に生き残って思うことは、その方々が迎えることが出来なかった定年後を楽しもうということです。

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定年後 先に逝った人々

 

やはり40代から50代の働き盛りに逝かれた人は多いです。
癌だった人もいます。休みに日に家で急死した方もいます。
そして一番ショックだったのが、就業中に亡くなった先輩です。

定年直前でした。
営業で外回りして帰ってきて営業所で倒れたのです。
そのまま帰らぬ人になってしまいました。

営業所の後輩たちは、せの先輩は、定年が来るのを楽しみにしていたそうです。
退職金の金額もきちんと計算していたそうです。
そして定年後は、あれしよう、これしようと楽しみにしていたそうです。

それがある日突然、そんな夢もなくなってしまったのです。

僕は、当時大阪の営業所にマネージャーとして単身赴任していました。
ふと見ると、亡くなった先輩と同期だった大阪社員が、じっと1点を見つめて声を発しないまま、黙っていた様子がいまでも目に焼き付いています。

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最後に

 

定年後も生き残ったことはラッキーです。
命にかかわるような大きな事故や病気の経験はありませんが、若い頃はオートバイで何度か事故の巻き込まれたり、サラリーマン時代は、月に100時間近くも残業や休日出勤をしたりしました。
また過労で、営業車に高速道路を走って、ふと眠りかけたことも何度もあります。

そんなことを考えるとよく生き残ってこれたものだと有難い気持ちになります。
だから余計に残りの時間は、無駄にしたくないと思います。

 



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