僕は過労死しないで生き残った

仕事

こんにちは。
こめまるです。

映画評論家の町山智浩さんが、ラジオ番組で話していましたが、以前吉高由里子主演のTVドラマ「私定時で帰ります」が、話題になったことに次のようにコメントしています。

アメリカでは、なぜこのタイトルの番組が話題になるか、また定時で帰ることが問題にあるかわからないそうです。

つまり定時で帰るのが普通だから。

僕は、新入社員で入った会社が、みんな定時なっても一向に帰らないことが不思議でした。
大学生時代、アルバイトでは、定時なったらさっと帰るのが普通だったからです。

現在読んでいる『過労死 その仕事、命より大切ですか』牧野昇平著から働くことはついて考えたいと思います。

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異動や転職が過労死の伏線になる

僕は、1982年入社で、最初に卸部門に配属されました。
法人相手なので、原則に土日は休みです。

しかし、僕が入社した時代は、週休1日だけで、週休2日になったのは、数年後でした。
ただ、週休2日になってからは、きちんと休めたので、結婚して子供が出来てからも土日は子供と一緒に遊ぶことが出来ました。

ところが、そんな生活が変わったのは、45歳で異動になってからです。
それまでの法人相手の卸部門から、一般客相手の小売部門のしかも部長代理という肩書で異動になったのです。

僕が勤める会社は、ジュエリーを扱う会社でしたが、一般客が一番わがままです。
しかも高額ジュエリーを扱っていたのでよりその傾向は強かったと思います。

しかも土日働くことも多くなりました。
また部下も最大30人以上扱っていたこともあり、そんな労務管理もあって休めなくなりました。

また、慣れない仕事で業績も上げられません。
そんな中、僕は休日も家で仕事をするようになっていました。

「過労死」の中の事例でも、異動や転職から過労死に繋がっていることが多いようです。
僕も異動が過労死へのリスクが増したように思います。

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僕は過労死寸前だった

業績が上がらない、そのため余計残業をする、休出をするで僕は疲れてきました。
部下の女性も、赴任当時は颯爽としていたのに、と変化を口にするようになりました。

その内、大阪異動の辞令が出ました。
ただ、この異動は悪いものはありませんでした。

元々大阪のお店は、小売りの歴史も長く、地盤が出来ていました。
しかし、逆にベテラン社員が勝手なことをするので、それを抑えるためもありました。

ここでは、自分よりも年上の部下たちと心の交流が出来、それなりに上手くいったと思います。

しかし、単身赴任ということもあり、働きすぎでした。
しかも持ち家以外にもマンションを持っていて、そこは賃貸に出していましたが、経済的には非常に苦しい時代でした。

そして何より観ていた店舗が3店舗で、定休日もバラバラで僕は月に一回自宅に帰る以外は、働き詰めで、過労死基準の平均時間外労働80時間以上を軽く超えていました。

疲れてくると思考力が落ちる

疲れてくると思考力が落ちます。

3店舗は、大阪でも泉州地区にあったので、ほとんどクルマでの移動でした。
時にふっと一瞬寝てしまうこともありました。

また単身赴任なので食事の用意は全て自分でやっていました。
当時の生活は、5時半頃起床。
朝食を自分で作って食べ、7時には出勤していました。

始業が9時半でしたが、始業時間になるとメンバーが出勤し、東京本社とのやり取りも出てきて、いろんな事務作業が出来なかったのです。

そして夜は、ショッピングセンターに入っているお店が午後10時までなので、そこの締めに回ることも多くありました。
途中、深夜までやっているスーパーで買い物をして会社の寮になっているマンションに戻るのが10時から11時頃という生活でした。

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まとめ

結局、大阪から戻ってもさらなる地獄が待っていました。
しかもこちらは、通勤時間が長い分、朝6時に家を出て、帰宅するのが11時から日付が変わるころ。

変わったのは、大阪から戻って3年くらいたったころです。
一人でなんでもこなしていた僕を見かねて会社が人を増やしました。

僕は既に55歳になっていました。
約10年間にわたるハードな業務からある程度解放されました。

でもなんであそこまで必死で働いたんだろう。下手したら命を落としていたかもしれないのに。

その答えは、「過労死」を読んでから報告したいと思います。



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