定年後 小さな親切 大きなお世話にならないために

日記
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こんにちは。
こめまるです。

先日、故郷富山に1日だけ帰省しました。
バスタ新宿から夜行バスで早朝の富山駅北口に着き、その日は妹宅に一泊させてもらう、翌日は京都に行き旧友と会ったり観光したりしてその晩、新幹線で新横浜まで帰りました。

さて、富山へは10月の母の三回忌では、台風19号の影響で帰省できず、その代わりに帰省しました。

まず、母の墓参りに行くため農協でお花を買い、墓参りに行きました。その後実家により老父を乗せて近くの大型スーパーに行きました。

父は現在85歳。この12月には86歳になります。
足腰、頭はまだまだしっかりしていますが、目と耳は多少不自由なようです。

そこで、毎週1回、妹が父を乗せて大型スーパーへ買い物に行くのです。
父は、慣れた感じでスーパーのカートに買い物籠を入れて、ゆっくりと買うものを吟味しながらスーパー内を順番に回りだしました。

とてもゆっくりしたスピードで、一瞬僕がカートを押してやろうか、と思ったのですが、止めました。

父は、1週間でこの時だけが買い物をする楽しみでしょうし、ゆっくりといってもそれは、僕から見てそう思うわけで、それが父のペースであり、変に手を貸すのはよくないと思ったからです。

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僕は、現在、大学生や高校生に交じってカフェレストランでアルバイトをしています。
大学生で40歳違うし、高校生となると45歳くらいも違います。

だから彼、彼女たちから見たら、とろい爺さんと思われているかもしれません。
でも、嬉しいことにいちいち手助けしません。
もちろん、それなりに忙しいのでそんな余裕がないと思うのですが、それが自分がしっかりしなきゃと上達が早まるように思います。

そして、どうしても困った時だけ若い先輩たちに助けを求めます。

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以前、障害者スポーツのボランティアをしている人を報道番組で取り上げていました。

基本は手を貸さないこと。
一般人と同じに接すること。

つまり特別扱いしないことだそうです。

また、介護施設でも、以前はいろいろ手を貸すこともあったようですが、現在は、出来ることはさせるというのが基本だそうです。

またお年寄りに対してだけはなく、幼児に対してもそうで、やろうとすること、出来ることは上手くなくてもさせることです。

どうも日本は、過剰に親切にする傾向があるようです。
ところが巨大な権力等に対して弱い部分を感じます。

これは国民性なのかもしれませんが、僕は相手が困っている時や助けを求めている時だけ手を貸すようにしています。

また、自分で出来ることに手を貸させると不愉快になります。

まとめ

小学生の頃、小さな親切運動というのがありました。あっ、いまのあるようです。別のこの運動に文句をつけるつもりはありません。

でも、ただ一つ気を付けたいのは、自己満足になっていないか?相手のためになっているかをしっかり見極める必要はあると思います。

そしてないと小さな親切、大きなお世話になりかねません。
特にお年寄り、障害者に対しては、よく観察したいですね。

誤解してほしくないのは、小さな親切をしないから、関心を示さないというのではなく、それは逆で大きなお世話にならないようにより関心をもつ必要があるということです。



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