こんばんは、
こめまるです。
「終わった人」内館牧子著を読みました。
主人公の設定が、エリート過ぎて、最初はなんだよ、と感じたのですが、読む進むに従って、エリートだろうが、ポンコツだろうが、定年退職を迎えた人には共通した悩みや迷いがあるんだな、と思いました。
主人公の田代壮介は、東京大学を卒業して、たちばな銀行という架空の大手銀行に勤めて、役員になる前に50才を過ぎて関連企業に出向に出されてしまいました。
そこの専務取締役として63才で定年を迎えています。
そして定年退職後、しばらく何もしないでぶらぶらしていたのですが、そのうちこれではだめだと、スポーツジムに通いだします。
確かそこでの誰かとのやりとりで、
自分の出身校を語るとき、「一応、東京大学」と一応と付けてしまい、自分の権威主義とうぬぼれに嫌悪感を抱くというシーンがあります。
一応、早稲田です
僕の出身校は早稲田大学なんですが、実は過去に、「一応、早稲田です」と答えたことがあるのです。
思い返しても恥ずかしいのですが、何様気取りなんだろうね。
早稲田です、とするっと言えばいいのに、「一応、」と付けるなんて鼻につくよね。
なんかエリート気取りぷんぷんの匂いがあります。
相手の、ほうってリアクションを期待するのだろうか。
だから、小説の中で、主人公が、つい「一応、東京大学です」
と答えてしまい、自分に嫌悪感を感じてしまうのは、なんか分かります。
早稲田出ててもバカはバカ
早稲田大学を出てから35年。
在籍した5年間をもっと後悔しないほど、有効活用しなかったことが
後悔です。
だから、出身校を聴かれて、一応とつけてしまうのでは、有名校を出ているのに、こんな中小企業に勤めていうの?と思われるのが恥ずかしくて、照れ隠しで、一応と付けてしまう飲んだろうな。
だから、「終わった人」の主人公、田代壮介が、定年後ぶらぶらしている自分に出身校を聴かれて、東大まで出ているにに、こんな無職の老いぼれになってます、
とついつい照れ隠しで、「一応、東京大学です」でも、いまは定年退職してぶらぶらしてます、すんません。
という心理を含んでいると思います
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