人生100年時代 働けるだけ働いてやれ

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生まれた時代、

生きてきた時代は変えられませんね。

そしてその人の人生観、

生き方は、その人が生まれ、育った時代から

かなりに影響をうけていると思います。

僕は、東京オリンピックを

2度体験できるもっとも若い世代です。

1964年(昭和39年)の

東京オリンピックの時は、

小学1年生でした。

毎日、授業が終わったら

小学校から走って帰宅して、

小さい白黒テレビを夢中になって観ていたものです。

その頃は、僕の住んでいた田舎の街には、

野良犬がうろつき、トイレは汲み取り、

人生50年と言われていた時代でした。




1960年から見た21世紀

テレビでは、

ロボットの鉄腕アトムや鉄人28号などが

放送され、まもなく科学の時代が来ると

思っていました。

そして21世紀は、ロボットと暮らす世界を

想像していました。

でも21世紀は、ずっと先で、

自分は43歳になっていて、

もう人生も終わりじゃないか、

なんて思っていたものです。

だって、人生50年時代ですから。

50歳は、まぎれもなくおじいさん、おばあさんでした。

あの漫画サザエさんの父親の波平氏の設定は

54歳でしたから。

大学入学で上京、そして就職

時は流れ、僕は1977年(昭和52年)
19歳で大学入学のために上京しました。

中学生の頃、学生運動が激しかった時代の模様を

TVでみていて、大学にはまだそんな人たちがいるのかと思っていたら、

拍子抜けするほど、平和なキャンパスの様子に逆に驚いたものです。

そして卒業と同時に就職。

僕は、ある縁で、港区にある宝飾品の専門商社に入社しました。

特に宝石に興味があったわけではありません

。大学も1年留年していたので、親に心配かけたくなかったので

取りえず就職したという格好です。

実家に戻る選択肢もありましたが、

なんとなく東京が好きだったのでそのまま東京で就職しました。

いまでも憶えているのが、入社した会社の社則に、

定年55歳と書かれていたことです。

当時24歳の私は、定年なんと遠い、遠い世界のこととしか捉えておらず、

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ただ、どうして55歳という年齢を憶えているかというと、

僕が社会人になった年、父は48歳だったので、

父もあと7年で定年か、というを思いがあったからです。

また、私が入社した当時、会社の平均年齢が27歳と若く、

定年間近の人はおらず、本当に定年なんて遠い先の話で、

大体定年まで生きているのかね、というくらいの感覚でした。



結婚が自分の将来を考えさせた

結婚を機に将来を考え出しました。

僕が結婚したのは、1993年で35歳の時でした。

有難いことに、3人の子供に恵まれました。

ただ、子供たちは私が60歳までに

成人になってほしいという考えが強く、

この時、初めて60歳という年齢を意識しました。

そして、60歳になったら体力も衰え、

働くのもしんどいだろうな、と勝手に想像もしていました。

いつの間にか会社の定年は60歳に引き上げられていました。
特に告知があったわけではなく、

世間に従ったものと思われます。

40歳を過ぎたころから、もう転職は出来ない、

子供たちを育てるために定年までいるか、

という意識が芽生えてきました。

その一方で、自営として独立したいという

考えも少なからずありました。

でも常に自営のリスクと会社勤めを天秤にかけ、

気が付くと55歳になっていました。

このころから副業を考えるようになりました。

僕が副業と考えたのは、アフィリエイトでした。

なかなか思うようにいきませんがいまでも続けています。

まとめ

50代の半ばから自然と、自分は元気なうちは、

ずっと働こうと思うにようになりました。

当初は、特に強い理由はありませんでした。

2017年の9月末に定年退職した頃から

なんか時代の流れが変わってきたように思います。

そう、人生100年時代と言われるようになってきたのです。

こうなったら働けるだけ働いてやれ、

というのは最近の気持ちです。



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