高齢者 衰えを認め受け入れる アンチエイジングに潜む怖さ

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昨年だったかな、

右肩が一時痛くて思うように上げられませんでした。

 

また、1ヵ月前に左足の付け根に違和感がありましたが、

1週間ほどで、消えました。

 

その後2週間ほど経つと、

左足の甲が痛くなり、

歩くのも使い状況でした。

でも、2,3日で消えました。

 

僕は、これは体が出したメッセージだと思う、

より養生に努めたいと考えています。




高齢者 まず衰えを認め受け入れることから

人間は生き物ですから、ある一定の年齢を過ぎると、

肉体的にも生理的にも衰えが出てきます。

 

例えが、脚の力が弱くなり、転びやすくなります。

また、嚥下、飲み込んだりすることも苦手になり、

良くむせるようになります。

ひどい人は、気管に入って肺炎の発症を引き起こします。

 

聴力、視力、持続力、記憶力、集中力が衰えてきます。

その衰えは、体がメッセージを送ってくれることがあります。

例えば、まだ定年前ですが、58,9歳の時、

残業をしていると午後8時ころから頭痛がするようになりました。

それから僕は、もし残業しなければならなくても、

1時間程度で切り上げるようになりました。

 

また、先ほど書いたように脚に違和感を感じたら、

スピードを落としてしっかり歩くことに努めるようにしています。



高齢者 衰えを認めない アンチエイジングの怖さ

僕は、高齢者に対して過度の手助けはいらないと思っています。

自分で出来ることは、本人にさせた方が良いと思っています。

 

でも、老いや衰えを認めず、

「気持ちの持ち方次第で青春は続く」とか

「前向きに頑張ろう」

という考えは、間違いで、単なる精神論に過ぎないと思います。

昨年亡くなった母が、晩年に入ってた高齢者施設には、

いくつかの標語というか戒めの言葉が掲示されていましたが、

その中に「頑張らない勇気」という言葉に興味を引かれました。

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だから、アンチエイジングというのアンチという言葉には、

老いや衰えを悪いものとして否定するニュアンスが含まれています。

人間に必ず訪れる老いを否定する発想です。

五木寛之が教えてくれた 老いと衰えを認め受け入れる

五木寛之氏は、アンチエイジングという考えに対して、

その著書『孤独のすすめ 人生後半の生き方』で

次のように書かれています。

 

アンチエイジングとは、

人間に必ず訪れる老いをネガティブにとらえる発想だと思います。そうではなく、自分の現状を明らかに究めて、受け入れる。受け入れた上で、視点を換して、そこに新しい展開を模索する。それが大事なのではないか。

 

そして、「老後を若々しく」などと目標を立て、

偽装して元気に振る舞っても、かえって現実と理想との

ギャップに苦しんだり悩んだりするだと思います。

孤独のすすめ – 人生後半の生き方 (中公新書ラクレ)
↑ ↑ ↑
2017年に中公新書ラクレから出版された五木寛之著『孤独のすすめ 人生後半の生き方』から、老いや衰え委についての考えています。



最後に

「定年後を生き生きと」「老後を若々しく」など、

定年後や老後に楽園があるように書かれている本などがあります。

もちろん、定年後、老後を楽しく過ごすことに越したことにありません。

 

でも、定年後を生き生き暮らすのも、老後を若々しく過ごすことは

結果であり、目的ではありませんよね。

 

定年後に起業して生き生きしている人は、

起業して自分の好きな仕事をしているから

生き生きしているように見えるだけで、

生き生きしようと起業したわけではないと思います。

 

だから、つまるところ老いと衰えを明らかに究めるところから

出発するのが大切だと思います。



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