こんにちは、
こめまるです。
12月も中旬になり、クリスマスから年末、そして新年の年明けと続くこの時期は、なんかわくわくしたり、慌ただしかったりするのですが、僕は、どういうわけか、いつもどこかに寂しい気持ちを宿してしまいます。
もしかして幼少の頃にみたテレビでの、世間はクリスマスなのに、貧しく寂しい生活を送っている子どもたちの情景が思い浮かぶからかもしれません。
なぜ、そんな情景がクリスマスになると思い浮かぶかわかりません。
それから幼少の頃、父が買ってきたケーキで、若かった両親と一つ年下の妹とおいしいね、とケーキを分け合った記憶が蘇るからかもしれません。
定年後だから考える 終わりよければ全て良し?
僕は、60歳を過ぎて、自分を誉めたいのは、いままで死なないで生きてきたことです。
別に死にそうな危険な目に遭ったわけでありません。
もしかして一歩間違えば、ということが僕の知らないところであったかもしれん。
でも、37年間のサラリーマン人生で、一時は月100時間近くの時間外労働が続いたこともあります。
良く生き抜いてきたと自分を誉めたいです。
結婚も出来て、3人の子どもにも恵まれました。
子供たちも全員成人しました。
三人目がまだ大学生ですが、僕に何かあっても何でもないでしょう。
あとはきちんと人生の締めくくりを考えていきたいです。
でももしかして一番難しいかもしれません。
定年後 幸せと思うには期待しないこと
僕は人生の戒めとして期待しないことに勤めています。
これは高校生の頃夢中になった少林寺拳法の教義に中にありました。
その時は、期待してはいけないという教えに戸惑ったものです。
しかし、いまでは、大きなことに臨む時期待しないことは、真実をしっかり見ることにつながり、僕は大切なことだと思っています。
人生でも大きな出来事である、就職と結婚も期待しないかったからこそ、長く続けることが出来ています。
一方、期待して行った投資では、大損をこいています。
定年後 悩んだときは原点に戻ってみる
僕の三人の子供たちは、病気もせず、毎日元気に仕事に、学校に行っています。
いろいろ悩むことは多いと思いますが、家に籠ることもなく、休みの日も外に出て友人たちと遊んでいるので、ほっとしています。
長男が、大学を出て就職もせず、ギター一本抱えて東南アジアを数か月放浪し、戻って来たと思ったら、都内で一人暮らしを始め、定職にも着かずアルバイト生活を始めた時は、親として大丈夫か?と心配になったものです。
その時、妻に話したのは、僕は、子供たちのことで不安になると、長男の出産に立ち会った時のことを思い出す。
あの時、初めて我が子を抱いた感動は決して忘れない。
あの時は、五体満足で生まれたことだけに感動したじゃないか、と。
長男は、その後ちゃんと正社員として就職したようです。
また時には妻にむかつく時もあります。
そんな時、結婚ばかりの楽しかった頃を思い出して、心を静めたりしています。
最後に
せっかく、生を受けたのですから、十二分に生きたいと思います。
あと何年生きれるかわかりませんが、いままでの人に使われる生き方から脱却して、自分の考えだけで歩いていきたいと思います。
だから中年は荒野をめざすなのです。
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