こんばんは、
こめまるです。
僕の母方の叔父、つまり母の弟は、昭和11年生まれ、つまり現在82歳です。
僕の自宅から、クルマで30分くらいのところに住んでいるので、先日、久しぶりに見舞いに行ったら、すっかりやせ細ってしまって昔の面影もないほどでした。
僕がよく合っていた10年前より以前は、恰幅のいい体格をしていて、遊びに行くと、よくお酒をくれたものです。
今日は、その叔父の定年後の生き方について、書きたいと思います。
定年後の生き方 何もしないで25年 趣味に生きた
叔父は、昭和11年(1936年)生まれで、母より2つ年下。
中学校しか出ていない、母とは違って、子供の頃から優秀で、奨学金をもらって、当時では珍しく、東京の理系の大学に進みました。
そして、大手家電メーカーに勤め、音響装置の開発や研究をしていたそうです。
ただ、55歳で役職定年を迎え、系列会社に出向し、58歳で早期退職しました。
だから、僕が結婚して近くに越してきた頃には、60歳前にして、すでに退職していたことになります。
そしてそれから25年。見事に全く勤めには出ませんでした。
そんな叔父の趣味は、模型飛行機の製作と飛ばすことです。
定年後の生活は、普段は飛行機の製作をして、定期的に仲間と富士山の麓あたりに、そんな施設があるようで、よく飛ばしに行っていました。
飛行機の製作に関しては、もともと器用な人で、非常に精巧に作ることから、人に頼まれて作ってあげるということはしていたので、もしかして小遣い程度の収入にはあったのかもしれません。
ただ、叔父が、勤めに出たとか、働き口を探しているという話は、まったく聴きませんでしたので、定年後は全く勤めにはでなかったのでしょう。
定年後の生き方 何もしないで25年 奥さんは働き者
一方、叔母さんの方は、働き者で、さすがに80歳近くなったいまは働いえてはいませんが、いまでの時間があれば友人たちを卓球をやったり、旅行に行く活動家です。
よく叔母さんが僕の家に来て愚痴っていました。
その内容が、普段は全く外出しないで、飛行機ばかり作っている。
趣味だからいいが、昼夜逆転して、しかも昼夜関係なく、ビールを飲んでいる。
少しは勤めに出て、生活のリズムを持ってほしい。
しかもこのままだと、動けなくなって介護も大変だ、と。
定年後の生き方 何もしないで25年 人それぞれ
僕は、現在61歳。
つまり叔父が僕の年の時は、まったく勤めには出ていなかったことになります。
収入は、年金だけ。
もしかして多少のアルバイト代はあったかもしれません。
時代も違うし、年金額も違うし、大手家電メーカーにいたのですから、退職金も良かったかもしれません。
しかも、外で飲食するタイプではないし、お金を使うことは趣味の模型飛行機だけ。
だから、蓄えもそこそこあったのでしょう。
しかも住宅ローンも定年時には終わっていたようです。
僕は、叔母の愚痴を聴きながら、正直羨ましいと思いました。
もしかして、叔父は定年後は勤めには出ないで、趣味の模型飛行機作りだけをやりたかったのかもしれません。
だから、現役時代は、贅沢しないでお金を貯めたのかもしれません。
結婚が早かったせいで、二人の子供は定年前には、社会人になっていました。
まとめ
定年関連の本を読むと、定年後は、働きましょう、趣味を持ちましょう、近所の人たちとコミュニケーションを持ちましょう、など書かれているものが多いです。
でも、叔父は趣味以外は、全く逆の生き方をしてきました。
叔母の愚痴もわかります。
身体が動く限り働こうと思っている僕は、叔父のような生き方はしないでしょう。
でも、どこかに叔父のような生き方に憧れている自分がいるのです。
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