こんにちは、
こめまるです。
今回の記事は、僕が定年直後に感じていた心境を綴ったメモからのものです。
「俺たちに明日はない!」なんて映画のタイトルみたいですが、定年になってからのんびりどうしようかなって思っていた自分への自戒への念も込めて書いたメモでした。
“俺たちに明日はない”と感じた背景
37年間も会社勤めをしていると、ふとした瞬間に「情けない自分」に出会うことがありました。
たとえば、オフィス街のショーウィンドウに映った初老のサラリーマンを見て、
「ああ、あんな疲れたサラリーマンにはなりたくないなぁ」と思ったら――
そこに映っていたのは、まさかの自分でした。
登山で帰れなくなって救助を待つ中高年グループの報道を見て、
「いい年して無理するなよ」とツッコミを入れようとして、
自分と同世代だと気づいて一瞬固まったり。
先日、赤坂のホテルラウンジで打ち合わせをした時のこと。
近くの席で、大企業の役員風の男性(たぶん60歳前後)と、秘書らしき若い女性が楽しげに談笑していました。
男性がオヤジギャグを言い、女性が適当に合わせてコロコロ笑う。
僕は「けっ」と思いながらも、
自分も若い女性と話すと似たようなギャグを言ってしまうことに気づいて、ちょっと落ち込んだり。
そう、自分だけは大丈夫、なんて思っていても、
現実はしっかり“そこ”にいたんですね。
それでも思うのは、
「今この瞬間が、残された人生で一番若いんだ」ということ。
それを常に意識して生きていきたいですね。
100年生きても「あっという間」
あるテレビ番組で、100歳を超えてなお元気に暮らす方々が紹介されていました。
確か、10人ほど登場していたと思います。
皆さんの人生観や仕事観はバラバラでも、話に深みと重みがあり、
思わず背筋が伸びる思いでした。
ところが、インタビュアーが最後に同じ質問をしたとき、全員がまったく同じ答えをしたのです。
その質問とは――
「100年は長かったですか?」
その答えは――
「あっという間だったよ」
「あっという間やったなぁ」
「あっという間でしたわ」
そう、100年生きても「あっという間」なのです。
そして、自分も60年生きてきて、その感覚は全く同じ。
60年も、やっぱり「あっという間」でした。
現役も定年後も俺たちに明日はない!
20年以上前、会社の後輩男性の結婚式2次会でのこと。
3人の子供がいる僕に対して、彼が言いました。
「すごいですね。うちの給料で3人も育てられるなんて。
僕なんか、まだ人間できてないし、親になんてなれませんよ」
それに対して僕は、
「できた人間になんて、一生なれないよ。
でも、親になれば、自然と親になるもんだ。
生活もなんとかなるよ」
そう答えた記憶があります。
実際、3人の子どもは全員私立大学に進学し、上の2人は社会人に。
下の子はまだ大学生だけど、
「よくここまでやってこれたなあ」という気持ちです。
最近よく見かけるのが、「60歳から75歳までは人生の黄金期」というフレーズ。
たしかに、仕事や家庭の縛りから解放され、体力もまだ残っている。
自由な時間もたっぷりある。
中には、「現役時代の勤務時間分の自由時間がある」と説く記事まであります。
ありがたいようで、どこか説教くさい。
でも実際は、人にはそれぞれ寿命があり、
その“黄金期”が15年続くとは限らない。
だから僕は、
「次はない、また今度はない、そのうちはない」
という気持ちで毎日を過ごしたいと思っています。
やりたいことはやる。やらないことはやらない。
「俺には明日はない!」と、自分に言い聞かせながら。
まとめ:リアルに、前向きに
定年後の生活についての本や記事は山のようにあります。
その中には参考になるものもあれば、どこか腑に落ちないものもあります。
「定年後はバラ色の人生が待っている」とうたう論調には、少し引いてしまうし、
「老後資金3,500万円必要!」と不安をあおる記事には、
むしろ開き直って「まあ、なんとかなるだろ」と思ったりします。
だいたい定年後の記事の傾向には2つのタイプに分かれます。
『夢を見せるタイプ』と、『不安をあおるタイプ』
僕はこのブログで、
60歳を過ぎた男が、迷いながらも前を向いて歩いていく「リアルな姿」を、
ユーモアとともに、発信していきたいと思っています。
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