野良犬シロと僕。あの冬の日々が、今も心をあたためてくれる

生活
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こんにちは、
こめまるです。

1965年(昭和40年)頃、前年の東京オリンピックの熱気もどこか遠く、我が家はまだまだ貧しい家庭の一つでした。
子どもながらに、どこか世の中から取り残されているような、そんな寂しさを感じていた頃のお話しです。

また、現在コミュニティの読書会で馳星周作「少年と犬」を課題本で意見や感想の交換をしています。

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野良犬シロと僕の出会い

僕の少年時代。
特に小学校の低学年の頃は、性格も大人しく、身体もそれほど丈夫ではなかったのでどちらかというと内気な子供でした。


※僕の思い出の中で一番シロに近いと思う画像です。pixapayより

そんな僕に寄り添ってくれたのが、野良犬の「シロ」でした。
出会ったのは、おじいちゃんの家。
優しそうな目をした白い犬が、玄関先で尻尾をゆっくり振っていたのを、今でもはっきりと覚えています。

シロと僕、妹との貴重な時間

当時の富山の冬は、市内でも雪が1メートル以上積もるほどでした。
小学生だった僕と、1つ下の妹と、シロの3人(2人+1匹?)で、雪の中を夢中になって駆け回ったあの日々は、まるで宝物のような時間でした。

幼い頃の妹は、胃腸が弱く、よく入院していました。
だから母親も病院に行っていることが多く、そのため僕が一人で留守番しているこが多かったようです。

だから元気になった妹とシロと雪の中を駆け回ったことは、本当に貴重な時間だったのです。

シロのぬくもりを思い出す

また、ある日、大きな雷が鳴った日中。
やはり一人で家出留守番していた時。

怖くて仕方がなかった僕は、ひとりで玄関に座り込み、シロをぎゅっと抱きしめていました。
あの温もり、あの安心感。
言葉はなくても、「大丈夫だよ」って伝えてくれていた気がします

シロとの別れ

でも、父は犬が嫌いで、家で飼うことは許されませんでした。
シロとは少しずつ距離ができてきました。

僕も小学校の4年以降は身体も丈夫になり、友だちを遊ぶことが多くなり、やがてシロと会う機会も少なくなってきました。
そしてある日、海の近くでシロが亡くなっていたことを聞き、胸が締めつけられました。

母からは、亡くなったという話を聞いた少し前、久し振りにシロを見かけて、声をかけたけど付いてこなかった。
もしかして自分の最期を感じていたのかもしれないね。
ということも聞きました。

僕は、シロに「ごめんね」という気持ちでいっぱいになりました。
これからは、人にも動物にも、できる限り優しく、誠実に接していこうと決めたのでした。

いや、時に正確に言うと、僕には欠点もあり邪悪な気持ちも時に持つことがあります。
でもそんな時、シロを思い出します。
果たして自分はシロの優しく、誠実に接したのだろうか
もしかして、僕を信じていてくれたシロを裏切っていたのではないかと。。。

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まとめ

あれから半世紀以上経ちましたが、シロのことを忘れたことはありません。
今でもいつも、雪の中のシロの笑顔を思い出します。
あの頃のを支えてくれたシロの存在が、今の自分の生き方にちゃんと繋がっていると感じています

しかも反省と後悔と共に。

少年時代の僅か2年ほどの思い出です。
でも僕の取っての人間形成にとって貴重で大切な日々でした。



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