小澤征爾とバーンスタイン 小澤氏没後1ヵ月に思う

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こんにちは、
こめまるです。

時々、物事の通りは、何気ない時にハッとして思うことがあります。
そっか、そんなことだったのか!と他人にとってはどうでも良いことが、自分にハッと気づくことがあります。

小澤征爾さんが、2月6日に88歳で亡くなって1ヵ月になりました。
その間、小澤さんの残してくれた録音をいくつか聴いたり、小澤さんと親交のなった作家の村上春樹さんの作品をいくつか読んでいると、そっか、そういうことかと思い至ったのです。

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小澤征爾の音楽と村上春樹の文章は似ている!?

コミュニティの読書会で村上春樹氏の短編集『レキシントンの幽霊』がスタートしました。村上さんの作品への好き嫌いが色々あって面白く楽しい会となりました。
その後、自分のブログのためバーンスタイン&NYフィルによるベートーヴェンのミサ・ソレムニスを聴いていて、ある思いが湧き上がってきました。

小澤征爾さんは、1961年にNYフィルの副指揮者になり当時の音楽監督だったバーンスタインに師事しています。しかし、音楽的には小澤さんはバーンスタインとは逆のスタイルです。

そして小澤さんと村上さんは親交がありました。村上さんの著書『古くて素敵なクラシック・レコードたち』では、小澤さんのLPを数枚愛聴盤として紹介しています。
そしてここで僕ははたと気づいたのです。小澤さんの音楽と村上さんの文章は似ている!
上記の村上さんの音楽エッセイの続編に『更に、古くて素敵なクラシック・レコードたち』がありますが、そのp33からのベルリオーズの幻想交響曲の項でバーンスタインと小澤さんの演奏の違いについて次のように記しています。

“バーンスタインはもともと「話を作っていく」タイプの指揮者で、それがプラスに出る場合もあれば、マイナスに出る場合もある。”、”しかしもちろん「このこってり感がたまらない」という方がいらっしゃても、僕としてはとくに異議はない”
“小澤征爾はそれとは逆に、ベルリオーズの音楽の妄想性みたいなものをきれいに均した演奏を繰り広げる。”、”こってり感はほぼ皆無だが、演奏の質は文句なく素晴らしい。薬味も必要十分、しっかりきいている”

なるほど、そういうことかとここでハッと気づいたのです。

村上さんの乾いた文体は、まさに小澤さんの音楽と共通していると感じたのです。しかも”薬味も必要十分、しっかりきいている”ようなのです。

小澤さんの創り出す音楽も村上さんの書く文章も質の高いものだと思います。
しかも格調が高く、端正で整然としている。でも接して感じるのは、なにか気取っているのではないか、いや逆にあっさりしすぎているのではないか、いや変に拘っているのではないかと感じてしまいます。

しかし、全体から感じる印象が感情的でウェットなものではなく、もっと客観的でドライなものなのです。

そしてそこに村上さんの言う薬味が効いているのです。
それを知るには、僕は小澤さんの音楽も村上さんの作品もまだまだ深く接していません。
この二人の作品をより深く知っていくことは、これは楽しい知的冒険になりそうです。

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小澤征爾vsレナード・バーンスタイン 幻想交響曲

小澤とバーンスタインの違いが分かりやすいCDを紹介したいと思います。
まず前出のベルリオーズの幻想曲のCD

パリのアメリカ人~ バーンスタインONFレコーディング&コンサート

《バーンスタイン生誕100周年記念~初出音源も収録!》
バーンスタインが1976年に、フランス国立管弦楽団と旧EMIレーベルに遺した「ベルリオーズ」と「ミヨー」、ロストロポーヴィチとの「シューマン:チェロ協奏曲」「シェロモ」、ワイセンベルクとの「ラフマニノフ:ピアノ協奏曲第3番」の全5枚分のアルバムを収録。

ベルリオーズ:幻想交響曲 小澤征爾 、 サイトウ・キネン・オーケストラ

村上氏が、著書で取り上げているLPレコードは、ボストン響を振ったもので、残念ながら現在廃盤中のようです。

これがそれよりずっと後の演奏。

小澤征爾が5年ぶりにオーケストラ・コンサートを指揮した2014年のサイトウ・キネン・フェスティバル松本(現セイジ・オザワ 松本フェスティバル)のプログラムに選ばれたのは、小澤征爾が得意とする《幻想交響曲》。演奏者と指揮者の固い結束が音楽となり、尋常ならぬ盛り上がりを見せます。
約50分に渡る大作を指揮した演奏は、マエストロ自身が「オーケストラが素晴らしかった!」と称賛するほど圧倒的な演奏でした。

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小澤征爾vsレナード・バーンスタイン マーラー  復活

マーラー:交響曲第2番≪復活≫ レナード・バーンスタイン 、 ニューヨーク・フィルハーモニック

マーラーの交響曲第2番は英雄の死と復活をテーマに、生きることの意味を追求する哲学的な内容を持った交響曲。

怖れと甘美さ、戦慄と優美な憧れといった両極の感情が内在する作品で、終楽章は最後の審判と復活を描いた一大叙事詩となっています。

バーンスタインが長く音楽監督を務め、桂冠指揮者の称号を受けたニューヨーク・フィルハーモニックを指揮した演奏です。

マーラー:交響曲第2番≪復活≫ 小澤征爾 、 ボストン交響楽団

戦慄と憧憬、恐れと甘美さといった両極端の想念が混在した、生や死の意味を考察した哲学的な内容をもつマーラーの交響曲第2番は、大規模な管弦楽を用いて死や復活をテーマにした野心的な意欲作です。

小澤征爾とボストン交響楽団による緊迫感に溢れた壮大なスケールのこの演奏は、蓄積されたエネルギーが終楽章で一気に爆発し白熱の高揚感をもたらします。テ・カナワとホーンというふたりの名歌手も感動的な演奏に花を添えています。



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