桜で思い出す 竜馬がゆく

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こんにちは、
こめまるです。

おじさんLCCのコミュニティーの読書部では、毎週土曜日の朝にテーマにちなんで、それぞれ本を持ち寄って紹介することになっている。

明日の土曜日のテーマな「桜」
いつも翌週のテーマを読書会が終わる時になんとなーく決めるのだが、先週僕が、「桜がいいですね。シーズンだし」と何気なく言ったらそれに決まってしまった。

ちなみに僕が桜にちなんだ小説などを知っているわけではない。

ただ、桜というと思い出す小説はある。
それが、司馬遼太郎作の『竜馬がゆく』の出だしのところでなのです。

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竜馬 旅立ちの前日

時は、嘉永6年3月17日の前日。土佐城下本町筋一丁の坂本家。
末っ子の竜馬が19歳にして江戸に剣術修行に行くことになり、あす旅立つことになった。

すぐ上の姉、乙女がせわしく針仕事をしている。
竜馬に持たせるものでも作っているのか。

そんな時。「小嬢(こいと)さまよ」と乙女を呼ぶ声がする。
源爺ちゃん(げんおんちゃん)が、芝居もどきの神妙さで、
「屋敷の中庭のすみの若桜が、花をつけちょりまする」というではないか。

乙女は、いくら春間近といえ、三月の半ばに桜が咲くはずがない、どうせ源爺ちゃんの法螺だろと思ったが、あまりに言うので中庭を見てみた。

そうすると下枝のあたりにクッキリとした白さで一輪咲いていたのだ。
しかもこの若桜は、弟の竜馬が九つの時にいたずら半分植えたので、今年で10年になる。

乙女は、それを見て声をあげて笑いだした。
でも不器用な源爺ちゃんが一晩かけてその花びらを作ったことを知り、笑いが涙に変わった。

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竜馬がゆく 生涯の愛読書

僕が、本をいろいろ整理しても最後に残すのが、司馬遼太郎の『竜馬がゆく』、吉川英治の『三国志』五木寛之の『青年は荒野をめざす』だと思う。

『竜馬がゆく』は20代時に読み感動し、その後30代、40代と全8巻読んでいる。今でも時々、ぱらぱらと捲って目にともあったところを読み返している。

その中でも特に最初の『門出の花』は何度読んでも心がワクワク踊り、そして悲しくなる。

小説では19歳とあるが、それは数え年。江戸に経つとき、竜馬はまだ満17歳の少年だった。今ならちょうど高校三年生に進級する年齢。
竜馬は、1836年1月3日生まれで、嘉永6年は、1853年。3月17日が旧暦か新暦か分からないが、どちらにしても満17歳になったばかりなのだ。(ただ以降は小説に合わせて数え年にする)

竜馬も19歳で江戸に剣術修行に行けるほど成長したが、幼少の頃は、寝小便たれで泣き虫な子供だったそうだ。
また、近くの私塾にいっても見放されるほど愚鈍だったようでもある。
しかし、それを甲斐甲斐しく面倒をみた来たのが4歳年上の乙女だった。

しかも乙女が身長175センチ、体重100kgもあろうかという人で、しかも動きも素早く剣術もこなし、頭も良かった。そして他人から見てもわからない竜馬の素質を逸早く見抜いて、江戸に修行行けるほどまでにしたのだ。

まとめ

僕は、人の人生、生涯を読んだりすると悲しくなる。
なぜかよくわからない。ないか無常感が募り、せつなく、むなしくなる。
どんなに生きても誰にも最期がくる。利口も阿保も人生は一度切り。
好きに生きて、思い通りの人生を歩みたいと思う。
でも、うまく行かない方が多いし、むしろそれが普通。
それでも死ぬまで生きるしかない。
ということで一日一日を大切に生きるのがいいと考えるようになった。



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