こんにちは、
こめまるです。
37年4ヵ月のサラリーマン生活を終えて丸2年が経ちました。
この期間の心境の変化は、思い返すと少し滑稽です。
きちんと退職したにも関わらず、退職して一月ほどはびくびくしていました。
僕の勤めていた会社は、貴金属を扱っていたので、不正に対しては当然厳しい会社で、棚卸での不備に関しては、きちんと責任をとらなければなりませんでした。
僕は、もう10年以上前にマネージャーをしていた部門で不明商品が発生し多少のペナルティを受けたことがあります。
もちろん直接関知したわけではありませんが、責任者ということでのペナルティでした。
そういう企業に長年居たので、自分が退職した後に、不備が発見されているのでは、という多少の不安はありました。
自分が関わる不正は自分自身分かっているわけで、心当たりがありますが、不備となると誰かのケアレスミスからも発生するので、自分が預かりしらないここところで発生しうることもあるので、僅かな可能性に対して、心の一部でビビっていたのかもしれません。
勤めていた会社の給料は、月末締めの翌月20日振込だったので、8月20日に普通に振込まれていたのを確認した時、これで完全に切れたな、とホッとしたものです。
サラリーマン 働き方を後悔
勤めていた会社との関係が切れたことホッとした後にやってきた感情は後悔でした。
残業、休出に明け暮れ、有給も取らないで働きづめだった自分に対してとそんな会社に勤めなければいけなかったことに対しての後悔でした。
一番の後悔は、子供との時間を十分に過ごせなかったことです。
サラリーマン 働き過ぎに後悔
38年近く過ごしたサラリーマン時代で何が後悔かというと、働き過ぎたことです。
働き過ぎたというのは、定時では仕事が終わらず、残業、休日出勤が続いたことです。
これは、なぜかと考えれば、勤めていた会社の社風もありますが、完全にキャパシティーを超えていたということです。
そんな環境でもくもくと仕事をしたということです。
また、これはある資料で見たのですが、ある程度残業が多くなるとランニングハイのような状態になって、残業が苦でなくなるのです。
もしかして過労死まで行く人は、そういう状態になるのではないでしょうか?
つまり自分では止められないのです。誰かが止めてやらなければいけないのです。
まとめ
サラリーマン時代を振り返るとただただ死ななくて良かったと思います。
本当に丈夫に生んでくれた両親に感謝です。
働き過ぎは本人自体は止められない。
誰かが強制的に止めないと最後まで行ってしまう。
そんな意味で、僕は同僚たち助けられたと思います。
また、僕がキャパオーバーで働き過ぎたと会社に進言してくれた先輩もいました。
本当に有難い存在でした。
つまり最後に救ってくれたのは、会社ではなく同僚や先輩たちだったのです。
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