こんにちは、
こめまるです。
東京オリンピックの開会式まであと3日になりました。
2~3ヶ月前までは、オリンピックを開催しない方がいいのではないのか?再延期という手段はないのか?なんて考えていましたが、現在はただオリンピック、そしてパラリンピックと続く約1ヵ月半の期間、無事に終わってほしいと願うばかりです。
また、そんな厳しい猛暑とコロナの環境の中で競い合う選手の皆さまには、どうかご無事でとこちらも願いばかりです。
さて、今日はそう言えば、東京に開催地と決まる前の招致プレゼンテーションで、滝川クリステルさんが、語った「お、も、て、な、し」についてふと考えてみることにしました。
おもてなしという言葉はない?
そもそも「おもてなし」という言葉は、どんな意味を含んでいるのか、愛用している三省堂新明解国語辞典第八版で調べてみました。
なんと、「おもてなし」という単語は載っていないのです。
なんで?
うん?
「おもてなし」というよく見て、パソコンに打ち込んだりしてたら、
おお「お持て成し」という変換が出てきました。
つまり「もてなし」という言葉で調べればよいのか!
もてなしは、持て成すの名詞形で、
「心を込めて客に応対する」で、
おもてなしは、「心を込めて客に応対すること」を意味する「もてなし」に「お」をつけた言葉で、考えようによってはしつこい言葉を言えなくもないです。
単にもてなしで良いのでしょうか、プレゼンという場だったので強調のため「お」を付けたのかなと思います。
この「おもてなし」は話題になって、2013年の新語・流行語大賞に選ばれるまでになっていました。
おもてなし 特別ではない
さて、個人的な印象は、オリンピック招致のプレゼンの中で「おもてなし」という言葉が使われたことで、日本独特や文化、風習と感じた方もいるのかな、と思うのですが、僕はこのプレゼンを見て違和感を感じ、正直「別に日本が特別ではないよね」と思ったものです。
というのは、僕は仕事やプライベートも含め60回以上、海外のいろんな国、地域に行きました。
そこで感じたのは、どこの人も親切な人もいれば、そうでない人もいる。それは日本と変わるわけではなく、見かけや言葉、風習が違っていても基本的にはあまり変わりません。
僕が、大学の先輩と初めて外国に行ったのが、1978年の夏のこと。今から43年前のことです。出来たばかりの成田空港からアメリカとメキシコに行きました。
さて、初めてのアメリカ。街を歩けば分からないことだから、
そこでその辺を歩いている人に道を聴くのですが、皆さん親切に教えてくれました。
中には、ぶっきらぼうな方もいましたが、概して女性の方が、本当に親切に教えてくれたものです。
先輩と2人で、「やっぱりの男性は大きくて怖いから、女性に尋ねましょうね」と言ったものです。
また、ソルトレイクシティーでは、同じく日本から来ていた男子大学生と知り合い、一緒に観光したのですが、なんと彼が電話ボックスで財布を忘れるというトラブルに見舞われました。
それを見かねたか、通りが掛かりのおじさんが声を掛けてくれました。そんな我々をみてやはり通りがかりのおばさんも相談に乗ってくれました。
そして、二人はいろいろ公衆電話から連絡してくれて、なんと警察に財布が届いているということがわかったのです。
僕らは感激して二人に感謝をしてそれから互いに旅を続けられることができました。
※デンバー市の景観
デンバーでは、市庁舎の周辺を歩いていると、やはり50歳前後のおじさんに声を掛けられました。
僕らが、日本から来た大学生だとわかると、「よし、市長に合わせよう」というのです。
先輩と二人で「メイヤーって市長ですねぇ、本当かな?」「単にメイヤーさんという人だったりして」なんて言いながら、そのおじさんについていきました。
そうしたら、なんと本当に市長室に連れていかれたのです。
僕らは、デンバー市長とこんにちはと言って、握手し来たのでした。
まとめ
海外に行くまで、外国人はに日本人とは違う人種と思っていました。
しかし、初めてアメリカ、そしてメキシコに行ってからその考えはなくなりました。
そして社会人になり、海外に何度も行くようになると完全にそんな考えはなくなりました。
つまり国や文化などの違いよりも個人個人との違いの方が大きいと感じるようになったのです。
日本で好かれている奴は、海外でも好かれるし、日本で嫌われているやつは、海外でも嫌われます。
つまり僕としては日本でも海外でも気が合うやつはいるし、合わないやつはいるし、やはり知らないことはいけないことですね。
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