こんにちは、
こめまるです。
目を疑う記事を観ました。
次のやり取りです。
「部長、お元気ですか。お変わりはないでしょうか?」
「おう。君はちゃんとやっているのか」
なんと、これはある大手メーカーのOB会でのやりとりだそうです。
OB会だから、このやりとりで部長と言われた人は、また自分から「部長」という人がいるのでしょうか?
また「部長、お元気ですか?」と尋ねた人には、逆に「部長」と言ってくれる人がいるのだろうか?
この記事は、『週刊現代』の3月13日号に掲載された記事を取り上げています。
定年後は自由になるチャンス
定年後には、いろんなしがらみから自由になるよい機会です。
特に長年サラリーマンをしていた人は、それまで所属していた会社から自由になれます。
ところが、会社を辞めた後もそのしがらみに縛られている人がいるようです。
ただ、その中味をみると自分からしがらみを捨てきれない人としがらみを捨てたいのにずるずるという人がいるようです。
しがらみを捨てたくな人、もっと言えば過去の栄光を捨てたくな人の中には、わざわざ「元〇〇証券〇〇支店長」という名刺まで作って持っているそうです。
僕などは、信じられませんが、サラリーマン時代よほど良い地位にいたのか、いい思いをしたのか、そしてそれが忘れられないのでしょう。
しかも自分でわざわざ名刺を作るくらいですから、知名度の高い有名企業の役職者だったのでしょう。
いくら有名企業でも、元課長クラス程度だとさすがにやらないと思います。
だから名刺を作る人は、それなりの役職、つまり部長以上だった人だと思われます。
しかし、そんな名刺を作って誰に渡すんでしょうか?
マンションの理事会で?町内会の集まりで?
その光景を思い浮かべるとかなり痛々しい哀しい光景です。
ただ、自ら過去のサラリーマン時代のことを捨てられない人は、まだ幸せです。
これよりもっと哀しいのは、サラリーマン時代のしがらみを捨てたいのに捨てられない人です。
定年後は自由になるチャンス
週刊現代の記事では、OB会に出れば冒頭のように現役時代の役職で呼び合ったり、その時の上下関係をそのまま再現されることがあるようですが、自身、それを辞めたいのに、周囲から何か言われるんじゃないか?と怯えて、OB会に出席を続けて、サラリーマン時代の再現をしている人がいるそうです。
これこそあまりにも哀しいことです。
何に怯えているんでしょうね。
周りから何か言われるって、もしいう人がいるとしたら、その人たちも結局勤めていた会社に縛られている人だけでしょう?
つまり定年後、退職してせっかく自由になるチャンスなのに自分から放棄しているわけです。
こんなことをいう僕も会社で親しくなった先輩、同僚、後輩との交流は少なからずあります。
ただ、お互い全くサラリーマン時代の関係は引きずっていません。
まとめ
僕は現在63才。37年間サラリーマン生活に終止符を打ったのが、2019年7月ですから1年8ヵ月前。
退職して1~2ヵ月は、何か前の会社から連絡が来るんじゃないか、理屈で考えても何もあるわけではないの怯えていた期間がありました。
また、平日の日中、私服で町を歩いていると何か後ろめたい気持ちも多少ありました。
しかし、退職した翌月に最後の給料が振込まれた時にその怯えは半減し、9月に退職金の残りが全額振込まれた時に、ようやく勤めていた会社との縁が完全に切れたと感じスッキリしたものです。
だから、長く勤めていた会社に、退職後も縛られるという気持ちはわからないわけではありません。
しかし、それも数ヵ月のことだと思います。
長く引きづるというのは、残りの人生にとってプラスにはならないと思います。
そしてそんなしがらみを断ち切れるのは自分だけなのです。
コメント