こんにちは、
こめまるです。
先日、妻の父が亡くなりました。
84歳でした。
僕は、3年前に実母を失くし、一昨年は、子供の頃可愛がってくれた叔母、昨年は同じく叔父を失くしました。
そして今年は義父と毎年のように近親者を失くしています。
それぞれの葬儀に出席して、その姿を見るにつて、その人生に思いを馳せるのでした。
早期退職 仕事に就かなかった義父
先日亡くなった義父は、60歳の定年前に早期退職して、あとはずっと自分の好きなように生きてきました。
趣味のラジコン飛行機を作ったり、飛ばすことに高じていた時期もありますが、
そのうち、朝からビールを飲んだして昼夜逆転する生活にするようになり、
周囲を心配させていました。
そのせいかかどうかわかりませんが、70代後半から歩くのも億劫になり、
体力を落とし、最後は寝たきりでした。
貯金や退職金、年金で十分生活できたせいでもありますが、
最期のお別れの時、80キロはあった体重が半分くらいまで落ちた姿を見て、
なんて声を掛けていいのかわからなくなりました。
一時期、パソコンを購入し、デザイン関連のソフトや資料なども揃えていましたが、
義父なりにいろいろやりたかったことがあったようです。
結局は、不規則な生活や飲酒、運動不足がそんな老後の楽しみも奪ってしまったようです。
もし、もし、アルバイト程度でもいいから、週3日なり4日なり働いていれば、また違った人生を歩んだかもしれません。
義父などもよくその点は言っていたそうですが、聞かなかったそうです。
そしてその本人である義父は、こんな逝き方を望んでいたとは思えません。
最後の言葉は、明日11時に打ち合わせね
3年前に、お世話になった方が急死されました。
仮にNさんとします。73歳でした。
当時、まだ顧問として、僕と同じ会社で働いていました。
ある朝、突然、上司に呼ばれました。
「Nさんが亡くなった。」
「えっ?今日僕と11時から。。。じ、事故ですか?」
「いや急死されたようだ。」
実は、Nさんは亡くなった日、家で昼食を取り、会社に出勤してメールのチェックなどし、僕と翌日の打ち合わせの約束をして、ある会合に出られました。
そこで、会合の席で様態が急変して、救急搬送先で亡くなったそうです。
通夜の席で、Nさんの奥さんから、
「普通にお昼を食べて出て行ったのにね。あれが最後だったなんて。」
という言葉を聞きました。
次はモーツァルトのレクイエムですね
40代前半の頃、川崎市のある合唱団に入っていました。
そこでベートーヴェンの第九を歌うため、半年ほど週2回の練習に通っていました。
平日は、仕事帰りの会社員も多いので、午後7時からで、土曜日は午後2時ころからの練習が多かったように思います。
特に男性メンバーは、定年退職したと思しき世代の人が多く、40代の僕はかなり若手の方でした。
その中で、ひときわ高齢と思われる男性が一人いました。見たところ80歳は超えていそうでした。
歩くスピードは遅く、背は高い方でしたが、少し猫背気味な方でした。
いつも僕の斜め右前で歌っていました。
ちゃんと歌えるのかなと思っていましたが、練習は休まずしかも最初から最後まで立ったままで練習されていました。
僕とその方とは、いつも挨拶だけで、そんなに言葉を交わしたことはありませんでした。
しかも笑った顔も見たことがありませんでした。
12月の本番の日、その方はもちろん参加していました。
僕は、その方が気になっていました。まさか本番中に倒れることはないよな、なんて心配もしていました。
コンサートは成功裏に終わりました。終わったあと、その方に近づいて、「いい演奏でしたね。」と声を掛けました。
その方はニコッと笑いました。
「次は、モーツァルトのレクイエムですね。」
と言ったら、
「そうだね。」
と返事をくれました。
次の合唱団の定演では、モーツァルトのレクイエムをやる予定でした。
コンサートが終わってから僕は仕事が忙しくなり、やっと練習に行けたのは、1ヵ月後でした。
その時、団長から、その方がコンサートの1週間後に亡くなったと聞きました。
最後に
僕は、人間はいずれ最期が来るので、それまでは生きることだけを考えて行けばよいと考えています。
何と言っても、最期は自分で決めるられることではないのです。
義父にしろ、Nさんにしろ、合唱団の人にしろ、未来を、次のことだけを考えていたのです。
僕も最期の時は未来のドアを押すように前のめりに逝けたらと日頃から考えています。
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