定年後 人生が二度あれば 今ならあるかも

シニアライフ
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こんにちは、
こめまるです。

歌手の井上陽水が、「人生が二度あれば」のシングル盤をリリースしたのが、1972年3月1日のこと。

僕が、中学を卒業したのが、翌73年の3月。

その時の寄せ書きに、「人生が二度あれば」と書いた女生徒がいました。
自分も含め他の生徒たちは、中学時代の思い出や先生への感謝、将来への夢を書いているのに、なぜ、その子は、そんなメッセージを残しのか今でも謎です。

その後、僕は高校生になり、折からのフォークソング・ブームに乗り、ギターを弾くようになりました。そして、ギターを弾いて「人生が二度あれば」も歌いました。

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定年後 人生が二度あれば

そんな歌った曲の中に、井上陽水の
「人生が二度とあれば」が、ありました。

確か、陽水さんのライブでこの曲を演奏する前に、父親のことを語ったメッセージが録音されています。確か“もどり道”というライブを収録したアルバムです。

この曲が作られたのは、1972年(昭和47年)ですが、当時の男性の平均寿命は約69歳。

井上陽水は、65歳の父親が、湯飲み茶わんでお茶を飲む姿に、寂しさを感じ、

父親の気持ちを汲むように、

「人生が二度あればなぁ」

と歌ったのだと思います。

また、当時の平均寿命からいけば、あと数年の余生ということで、一種の諦観もあったのかもしれません。

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平均寿命 日本男性が80歳を超えた

しかし、あれから約45年。

日本の男性の平均寿命は、なんと81歳まで来たのです。

70年代に60歳を迎えた男性諸氏は、
「ああ、俺もあと10年かぁ」
と老後をのんびり暮らしたいと思ったのかもしれません。

だから、自分の60年の人生を振り返って、
いろいろ後悔の念もあるので、

「人生が二度あればなぁ」
とため息をついたのかもしれません。

しかも、残された時間を考えると取り戻そうとは思えなかったのかもしれません。

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現代人は、しんみりなんてしていられない

ところが、現代人は、人生が二度あればなんて、しんみりなんかしていられないのです。

楽観的に考えれば、人生を2度楽しめます。

悲観的に考えれば、辛さが、倍増します。

平均寿命が延びたことをどう捉えるかによって、定年後の生き方が違ってきます。

定年後を扱った本には、楽しい老後が待っているとか、
これからが面白いという論調のものもありますが、

ただ、言えることは、せっかく長く生きられるなら、
一度しかない人生を楽しみたいと思うわけです。

定年までの人生は、家族のため、会社のために働いて、
やりたかったことも出来ず、思い残すことも人によっては多いでしょう。

それなら、残りの人生は楽しみましょうよ。

だれでも子供の頃やりたかったことがあったと思います。
少年、少女の時に、思い描いた夢があると思います。

もし可能なら、定年後にやってみたらいかがでしょうか?

インターネット時代が夢を叶えてくれる

僕の中学生時代の夢は、クラシック音楽の評論家になることでした。

たくさんのレコードを聴いて、これがおすすめ、これはだめ、ベートーヴェンのこの交響曲なら、誰だれの演奏がいいと音楽専門誌に書いたり、

有名な海外の音楽家が来れば、インタビューしたり、コンサートの模様をレポートしたり、

また、ヨーロッパ、とりわけウィーンやドイツの各都市に行って、
本場のクラシック音楽の紀行を書いたり、などしたかったです。

ところが、インターネット時代がやってきて、
その夢を叶えてくれそうなのです。

ブログという媒体を使って、自分のクラシック音楽のレポートが、全世界に発信できるようになったのです。

絵の上手い人は、自分で書いた絵を世界に発信できるのです。
自分の得意なことを世界に発信できるようになったのです。

だから、せっかく平均寿命が延びたのですから、子供の頃、やりたかったことを、みんなに自慢したかったことを、みんなに教えたかったことを発信してみたくなったのです。

人生が二度あれば、と今生に思いを残して逝ってしまった先人たちも
きっとその方が喜んでくれると思います。



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