40歳の私 フロッピーディスクで思い出した自分の仕事

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こんにちは、
こめまるです。

新型コロナウィルスの感染防止のため、緊急事態宣言が発令されて15日目です。
私は、発令された4月7日から巣ごもり状態です。

外出は、近所のスーパーへの買い物、周辺の散歩。
私が住む横浜市港北区は、それなりに感染者は出ていますが、私の住む場所は、郊外で農家も多く、周囲は畑が多くて、散歩をしていても人とすれ違うことは稀です。

しかもお互い、自然と距離を取ってしまうのは、時節柄です。


※自宅近く。行き交う人は稀。

さて、そんななか部屋の片付けをしました。
そうしたら意外なものが出てきました。
フロッピーディスクです。

フロッピーディスクというと20年ほど前、仕事でよく使っていました。
当時のPCには、フロッピーディスク・ドライブが標準装備されていました。

いつかから使わなくなり、見なくなりました。

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フロッピーディスクの思い出

部屋の掃除、整理していたら、30枚ほどのフロッピーディスクを見つけました。
もちろんあることは知っていたしたが、その内処分しようと頭の隅では考えていました。

しかし、もう使わないことは確かです。
それなら、切り刻んで処分しようと思いましたが、表面に書かれているタイトルを見て躊躇しました。

そこには、
「2001.1.7 〇〇〇と〇〇〇」〇〇〇には子供の名前
「’95~97 出張レポート」
なんて書いてありました。

う~ん、何が保存されているんだろう、気になって仕方ない。

処分するにも心残りがある、ということでフロッピーディスクドライブ(以下FDD)を手に入れることにしました。

Amazonで二千円弱であったので、これも思い出のためと思い、購入しました。

FDDは、1週間ほどで届きました。

そして中身をチェックしました。

中には、データが壊れていたものもありましたが、懐かしいやら、また頑張っていた自分を思い出したりしました。

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40歳の私 頑張っていた自分を発見

保管していたフロッピーディスクは、1995~2001年に掛けて使っていたものです。
年齢的に37才から43歳に掛けて。

35才で結婚して、39才までに3人の子供の父親になり、仕事も毎月のように海外出張に行っていた頃です。

さて、2001年1月のフロッピーディスク数枚からは、まだ幼い3人の子供たちの画像でが出てきました。当時、長男7才、長女5歳、次女3歳。


※画像はイメージです。
仕事はスーツ着用でしたが、メンバーが若かったのでそれなりに楽しかったです。

そして、96年のディスクからは、部下へのコメントが残されていました。
まだ30代だった自分。結構、頑張っていたんだな、と懐かしくなりました。

フロッピーディスクに収められてたデータは、当時の部下5人へのメッセージとして1,000文字程度の業務指示の下書きでした。

以下に差し支えない部分だけ表記します。

B:営業活動行為の見直し
優良取引先が少なくなっている現在、日々の営業努力を疎かにすると他の競争相手にすぐシェアを取られ売上が出来なくなる。

具体的にどうすれば良いか?
1、 毎日、訪問、電話、ファックス等で仕入担当者と情報交換する。(売上の高低は、接触の頻度に比例する)(値段のきつい先にも同じ様に営業活動を行い、見合う商売を見つけて行く)

2、販売中心のタイムマネージメントを行う。
取引先の仕入担当もサラリーマンであるから販売可能な時間は午前9時から午後5時までだ。この時間帯は営業活動中心の仕事をする。

3、商品のフレッシュローテーションを常に心がけよ。
商品はあくまで個人の物ではなく会社の資産だ。自分の担当で売れなければ速やかに他の営業に回すこと。特にPQ商品などのリジェクションは速やかに戻し他の在庫と合わせ売れる商品に換えて行くこと。(この件に関しては、商品担当者に任せる。)

4、頭で商売するな、心でせよ。
与信の引き締め等で注文がきても売れない場合がある、その場合でも誠意を持ってお断りすること。因果応報の例えもある通り、いつ立場が逆転するかもしれず、また、その取引先が伸びることもあるので、全ての商売は、誠意を持って行う事。

5、自分が今何を一番すべきかを常に考えながら仕事をすること。

6、上司、先輩、後輩を問わず人の話しに耳を傾けること。

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最後に

当時の私は、研磨済みダイヤモンドの輸入卸のチームにいました。役職は課長か次長だったと思います。中小企業でしたが、1ヵ月でチームメンバー5人で一億円以上売り上げを作っていたと思います。

バブル崩壊後でしたが、まだまだ景気は衰えていなかったと思います。
しかし、すでにダイヤモンドの輸入卸のビジネスは、兆候は出ていました。

結局私は、2002年に小売部門に異動し、大阪支店に単身赴任も経験し、2009年から退職するまでの2017年まで、ジュエリー展の企画、運営の部署で働きました。

でもやっぱり自分が一番、ワクワクして仕事をしていたのは、あの30代から40代半ばまでの頃でした。それはまさしくフロッピーディスクの歴史と重なります。



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コメント

  1. スティック より:

    こめまるさん、こんばんは。
    いつも新しい記事を楽しみにしています。

    私もこめまるさんと同世代、様々な体験、時代にすごく共感できます。
    私も37〜42歳の5年間は印象的な時代でした。
    初めて名古屋の営業所長を任され頑張り過ぎるぐらい頑張った日々でした。

    そして37歳の時自宅に思い切ってパソコンを買い(25万円は高かったー、まだみんなが持ってなかったと思います)辿々しくメールなんかをやり始め、フロッピーディスクで会社と自宅でデータを運び仕事をしていたのを思い出しました。

    何枚もあったフロッピー、私は全て処分してしまいましたが、もしこめまるさんの様に保管して今見る事が出来たらあの若かったビジネスマンの私にタイムスリップできたのになーって、羨ましく思いました。

    情報提供もありがたいですが気張らずに素のままのこめまるさんのブログを楽しみにしています。

    • こめまる komemaru1957 より:

      スティックさん、いつもコメントありがとうございます。
      お互い生き抜いてきましたね。これからも楽しんで行きたいと思います。
      こんな時節ですが、どうぞご自愛ください。

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