坂本龍馬 30年目の再開

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こんにちは。
こめまるです。

11月15日は、坂本龍馬の誕生日であり、命日でした。
僕は、11月24日に京都の訪れ、坂本龍馬寓居跡に行ってきました。

そう言えば、30年前のまだ独身の頃、東京からオートバイを飛ばして、高台寺霊山にある坂本龍馬と中岡慎太郎のお墓にお参りしたことがありました。

それ以来の龍馬との再開です。

龍馬が暗殺されたのは、慶応3年11月15日。
きしくも龍馬の誕生日でした。

ただ11月15日は旧暦で、現在の新暦では、1967年12月10日になるようです。

酢屋 坂本龍馬寓居跡

龍馬が住んでいたのは、酢屋嘉兵衛は、享保6年から現代まで290年余り続く材木商。
「酢屋」は材木業を営んでいる店の屋号で、初代酢屋嘉兵衛から現代までこの地で継承しています。

ギャラリーの人に聴いたら、酢を扱ったことがないのに、なんで酢屋という屋号になったかは不明でそうです。

幕末、当時六代目嘉兵衛は材木業を営む傍ら、角倉家より、大阪から伏見や京へと通じる高瀬川の木材独占輸送権を得て、運送業も営んでいました。

当時、酢屋の前は高瀬川の大きな舟入で、高瀬舟が出入りしていました。
高瀬川沿いには、各藩の藩邸が建ち並び、各藩との折衝や伏見や大阪との連絡にも都合の良い格好の場所でした。

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そこで龍馬は酢屋に身を寄せていたのです。

龍馬は、家の人から才谷さんと呼ばれ、二階の部屋に住んでいました。
この部屋で船中八策をまとめ、大政奉還の建白書、薩土盟約など、大政奉還にむけた活動を展開していました。

天井を見ると梁として直径40センチ(目測)程の大木が使われており、この梁も龍馬が見ていたんだと思うと感慨深いものがあります。

まとめ

坂本龍馬と中岡慎太郎遭難之地は、この酢屋から少した離れた近江屋跡今回の京都訪問では、チェックするのを忘れていしまいました。

京都は、今後も何度も訪問する予定なので、次の機会には見ようと思います。

訪れたのが、11月24日という紅葉の季節もであったので大勢の観光客で溢れていました。

僕は、若い頃京都を訪れて日本の誇りだかなと思ったのですが、その後、仕事以外ではほとんど訪問していません。

京都検定試験を受けることもあり、京都をもっと知ろうと思います。



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