タバコが貨幣として通用した時代があった。僕も経験したのだが。。。

おはようございます、こめまるです。

1619年7月31日、当時イギリスの植民地だったアメリカのバージニア州議会は、
タバコの値段を決めました。

この法律によると、

タバコのなかで最上質のものは1ポンドにつき3シリング、
中等品は、1ポンドにつき18シリングと定められて、
このバージニア地方では、実質的にタバコが流通貨幣として使われていました。

当時、この植民地の特産品はタバコであり、
物価は、どれだけのタバコと交換できるか、という交換率で決まったのです。

だから、タバコ栽培の農民たちは食料品や衣料品をタバコで買ったし、
また税金もタバコで納めていました。

もちろん本国イギリス貨幣と交換することも出来ました。
しかし、イギリスは、大西洋を挟んで海の遠く向こうでしたし、
タバコの価値が州議会で決定した以上、わざわざ変える必要はなかったのです。




タバコで結婚相手を見つける時代があった

17世紀、植民地時代のアメリカ、バージニアでは、
タバコで結婚相手も見つけられたそうです。

「ロンドンからの船がバージニア港に着くと、バージニアの若者たちは、
それぞれ自分の腕の下に最上のタバコの大きな包みを抱え、波止場へと急ぎました。

そして、帰りには、美しく、しとやかな花嫁を連れてきた。」

つまり、ロンドンからの船は若い花嫁候補性を乗せて太平洋を渡り、帰りがけには
タバコを積んでイギリスに帰ったというわけです。

これって現代なら大変な問題ですよね。
つまり人身売買なわけだと思います。

どんな悪い奴が暗躍しているかわかりません。

まず、若い女性たちをどうやって集めたのか?
新大陸で結婚相手を見つけ、夢を追いかけませんか?
なんて、甘い言葉で募集したのでしょうか?

それともスカウトしたんでしょうか?
それとももっと強制的に親に金払って買ったのでしょうか?

やばいよね。

それとも17世紀のイギリスの庶民の生活は貧しくて、
子供も多く、口減らしのそんな商人に娘を売って、なにがしかの生活費を得る。

売られた娘は、船に乗って大西洋を渡る。

そしてバージニア港に着くと、買い手である若い男性が、
貨幣のタバコを持って待ち受けているわけです。

気に入った娘がいれば、タバコで商人に代金を支払う。

これ相当あくどい商売だよね。

多分、商人は、貧しい家庭から二束三文で娘を買って、
バージニアでは、若者から高い価値のタバコで支払わせ、
そのタバコをイギリスで相当高く売ったと思われます。

バージニアの若者に見初められた娘はまだいいですが、
買い手がつかなかった娘はどうしたんでしょうか?

想像するだけで可哀そうです。


タバコが法定貨幣として通用しなくなった

タバコが法定貨幣とされていたことはその後2世紀ほど続いたそうです。
つまり19世紀まで続いたのでしょうか?

しかし、決定的な危機が訪れました。

増産に次ぐ、増産でタバコの交換価値は使用価値を下回るようになってしまったのです。

できるだけ法定通貨としてのタバコの価値を一定水準を維持するため、
減産政策がとられたり、せっかく収穫したタバコを野積みにして廃棄処分にしたりしましたが、結局収取できず、暴動にまで発展しました。

結局、タバコという不思議な通貨は、ふつうの硬貨に置き換えられていったのでした。



20世紀の現代にもタバコが通貨代わりだった!?

1980年代の後半から1990年代始め、僕は仕事で当時のソ連に行っていました。

ちょうど、ゴルバチョフのペレストロイカの時代で、共産党独裁が終わり、ソ連邦崩壊の時期を重なり、約8年に渡りモスクワに行っていました。

最初に行ったのが87年11月だったと思いますが、ソビエト連邦末期でしたが、モスクワの街全体に質素というか、貧しい雰囲気がありました。

当時、僕は出張前にタバコを持っていたものです。
何に使ったかといういろんな支払いに使ったのです。

特にタクシー代は、ほぼタバコ1箱を渡していました。

そして、取引先へのお土産としてタバコ、ワンカートンを持っていたものです。

特に喜ばれた銘柄は、赤いパッケージのマールボロでした。

僕が、街角でマールボロを吸っていると、
いきない屈強なロシア人の大男に声を掛けられて、
一瞬構えると、タバコを1本分けてほしい、ということで、

1本渡すと、うれしそうにスパシーバとお礼を言ってくれました。



まとめ

現代では、タバコは嫌煙権という考えが出てから、
すっかり喫煙者も少なくなり、しかも肩身も狭くなってきました。

でも、タバコも貨幣としてまで使われた輝かしい時代があったんですね。




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